自覚こそ待て | 太陽王法の会


『自覚こそ持て!』


衆生よ!

私は天地の愛の結晶である。

しかるに汝等また悉く天地の愛の結晶である。

ゆえに、その自覚にこそ正しく立てと教えるなり!

自覚とは、自ら覚める事なりて自分を知りゆく事と知る事なり。

自らの命の尊さを知りて一切の命の尊さを、そこに知れとは教えるなり。

人よ、人が人としての自覚なくして人になれぬは当然であろう!

されば、仏が仏の自覚なくしてなんで仏と言えるなり。

仏の自覚が仏を作り、神の自覚が
神を生ずるに、
その自覚こそが第一の大切これと知る事なり。

人の自覚は人を作り、仏の自覚は
仏を作り、神の自覚は神を作る。

このように全てにおいて自覚するが人としての自覚なくして人になれぬのは当然であろう!

されば、仏が仏の自覚なくして、なんで仏と言えるなり!

仏の自覚が仏を作り、神の自覚が
神を生む事で、
それを生みて作ると知る事なり。

覚悟するは仏これなり!

されば、自覚こそこの覚悟の道ゆえに、そこと帰れと教えるなり。

正しく自覚する事こそを覚悟と言うなり。

自性、本自本性自然の一切を覚し悟りゆくはこれなり。

ゆえに、自覚こそ覚悟の体これなり。 

よいかな衆生よ、自覚こそ最も大切な道である。

自分の自覚は、自分の覚めであり、それぞれの自覚は、それぞれの覚めである。

僧の自覚は、僧としての覚めであり、聖人としての自覚は、聖人としての覚めである。

政治家としての自覚は、政治家としての覚めであり、教育者、教師としての自覚は、教育者、教師としての覚めであり、法律家としての自覚は、法律家としての覚めである。

社長は社長の自覚、社員は社員としての自覚、芸人は芸人としての自覚、建築家は建築家としての自覚、農業人は農業人としての自覚、それぞれのその全てが、それぞれの自覚をする事が、それぞれの覚めなのである。

夫は夫としての自覚、妻は妻としての自覚、親は親、子は子としての自覚、人は人としての自覚、それこそが、覚めなのである。

更に示せば、平和への自覚は、平和の覚めであり、自由の自覚、愛の自覚、平等の自覚、思いやり、尊び、敬い、信頼、仁徳等々、その全ての自覚こそが、その覚めなのである。

花が花と自覚するから、花を咲かせて命を全うするのである。

天地大自然の全て、万物の全て、みなこのように、自らを自らと自覚するから、そこに覚めを得て、命を全うするのである。

ゆえに、自覚こそ第一に大切と言うのである。

されば衆生よ、
よくと覚め知れとは示すなり。

自とは、自然にして、本自、本来の自分、自性、本自の性、自ずから心と立てるところの本性なりて、この本当の自分と覚める事こそが、自覚と言うのである。

万道の自覚、万法の自覚は、その一心一命の内に生ずるに、我はその道を示して、一切に智慧と与うを知る事なり。

(自覚とは真実の自分と覚めると言う事なり!)


太陽の法嗣

大日    天光子

合掌