『凡夫だから!』
出来る事を出来ないと言い、やれる事をやれないと言う!
そのいいわけにすぐ人は、凡夫だからと言う言葉を使う!
それは、ただの言いのがれにすぎない!
当たり前の簡単な事を、凡夫だから出来ない!
凡夫だからやれないのだと言う、おかしな事である。
それは、出来る事をやらず、やれる事をやらないだけなのであるから。
それに気づかないのではなく、気づこうとしない事もまた人のずるさと言えるのである。
凡夫には無理と言い続けたら、永遠に真の命を得る事は出来ないのである。
ゆえに、出来る事からそれを行ない、やれる事から、それをやる事である。
凡夫だから、やるのである!
凡夫だから、努力し頑張るのであるという考えに切り換えた者は、やがて勝利をそこに得るのである。
平凡なる人、真の凡夫とは、それが出来る人の事を言うのであるから。
凡夫だからこそ聖をめざすのであり、その道を目指すのである。
聖であるならば、もはや聖を目指す事もなく、その道はそこにあるのである。
無知だから、智慧を目指し、暗いから、光、明を目指すのである。
すなわち、凡夫だからこそ命と覚めて、そこを目指すのが、当たり前の道と言うのである。
命は鍛え、磨き、育てるを務めとするのである。
ゆえに、凡夫だからそれをやるのである。
凡夫だからと言う言葉を言い訳として、当たり前の事、出来る事も、やれる事をやろうとしない者こそ、卑怯な事なのである。
人はゆえに、凡夫だから、それをやるのですよと言えるようになる事である。
それが、凡夫としての命の務めなのであるから。
太陽の法嗣
大日 天光子
合掌