密と顕 | 太陽王法の会


『密と顕!』   


一文字を見て表面で読み知る事を顕教と言うなり。

その一文字の中に含まれる広大無尽の世界を自在智をもって読みゆくを密教と言うなり。

その命にあらわれているところは、すなわち顕なり。

その命に秘められている大いなる蔵、その宇宙と知りゆくところが密これなり。

されば、顕はその密のあらわれにして、その部分を見て顕教となしても、密はこれ解せぬなり。

密教とはゆえに学問を超えて命で命を修する実践行と示すなり。

密教の真実はその命において実と開いて、神秘甚深の世界を実と験証認得するが、本道なると教えるなり。

空海は、虚空蔵求聞持法において、その密の真髄を体得認証なすと知る事なり。

その本のところを得た後、学と形とその教えの体形を完成する為に、中国にそれを受取りにゆきたとこれを知る事なり。

ゆえに空海は実のところはいくら経を読んだところでも、真実のところは人には理解しがたいだろうと申したのである。

その真理真実を知りたければ、自らの心の内なる庫を開けと言ったのである。

その点は仏陀釈迦尊者も、この真実は言葉で語りても実のところは誰にも理解できないであろうと言ったのである。

私はその密の胎蔵界と実と開き至りて実なる開眼をなし、頭頂に香油を注がれ、天雨を受けたゆえに智々と修し万教を説く命と生まれたゆえに、この真実を実と知るのである。

この真の密教を知らずして、仏陀などと申する者はみな真実に非ずとここに示すなり。

天地大自然一切に密あり一切の声字にまた大いなる密あり!

全てに道と命の教えあり!

すなわち密教は全ての中にあると知る事なり。

みな上辺の顕教ばかりに暮らして、全ての内にある道と命の教えにきづかぬなり。

自らの命の内とある、大いなる真理の蔵を実と開く為にその密教の真言を唱え、唱えて祈り、祈りて修せと教えるなり。

一万回、十万回でも、唱え祈る心こそ肝心なるとも知る事なり。

その密の蔵と開く事こそ法の道とは教えるなり!           


太陽の法嗣

大日    天光子

合掌