『男と女と大いなる道2』
明はこれ日月なり!
日月はこれ阿吽なり!
日月はこれ火水(神)なり!
日月はこれ男女なり!
明諦はゆえに命なり!
日は父なりて、月はこれ母なり!
明諦はゆえに子としての命の誕生なり。
この明こそまた仏陀諸仏の誕生の印これなり。
神々の誕生もこの明の大義、合せ鏡にあると知る事なり。
日(父)と月(母)とが睦みあって交わり、火と水の命が宿るなり。
すなわち、火水(神)が宿るなり。
その火水が血となって気(木・風)とめぐりて金(骨)を生ずと知る事なり。
そこに土たる肉体の整いて、命の形成されると示すなり。
その明諦が生まれ出て、命の誕生なると示すなり。
これ、日・月・火・水・木・金・土、七曜の秘密とここに教えるなり。
日(父)と月(母)とが一となりて火水(神)一と和して気となし、一命とめぐるに、金の生ずと知る事なり。
この日は男にして、月は女にして、火は男にして、水は女にして、その一体調和においてよく気のめぐりて、金を生ずと示すなり。
その金に土、肉を整えて生まれ出たのが、その神の子としての命とこれを知る事なり。
されば命はこの日月を整え、火水を整えて、正しく気(木・酸素)とめぐらすに、金と輝く金剛の命、そこに生ずるなり。
この気(木)は風なるに、そこに日月と五行すなわち、火・水・木・金・土、これを知れと言うなり。
この循環が正しくめぐるに命はまた、整いゆくと教えるなり。
されば、初めの日月こそ、命の大切これと知る事なり。
日月を大切にしてよく鏡と合わせて生まれるが、子としての明諦なると教えるなり。
日は父、月は母、その鏡が明としての子供とこれを示すなり。
子はゆえに日(父)、月(母)を大切になして、鏡と写して生きるを心と知れと示すなり。
これが、命と、命の相と、そこに秘めたる真理太陽の法の教えなり。
天なる父、太陽神大日如来の法はゆえに全ての命の初めの初めと教えるなり。
初めに日すなわち、太陽神大日如来のありて全てはなると知れとは言うなり。
この日を阿と教えて、主とは言うなり。
その日を命とおさめて月鏡となすに、明としての命またそこに生まれるなり。
これを阿吽と言うと知る事なり。
真理大日の光明、自己の心水月鏡に写して、入我我入三密加持なして、明、大円鏡智と生まれるが、一切如来神仏の印とこれも教えるなり。
それが明諦光明の命の誕生なると教えるなり。
日月はこれ神なり!
火と水はまた神なり!
この神の命、気とめぐりてその金(骨)と土(肉)固まりて命と生ずと知る事なり。
そこにおいてその命を命として形成する形成の識、創造の識そこにあるにこの識をまた神とはこれを示すなり。
天に日(父)あり、地に母(月)あり、天地一如の明諦として生まれたのが、子としての我なり。
この天地はゆえに我が父母なり、我が家なり。
我はその父母一如の大いなる子これなり。
全ての兄弟姉妹よ、この我の境界、汝等も実と至れと言うなり。
太陽の父(主としての大いなる神)は、常にそれを教え示すと知る事なり。
その大いなる父の真実と開き至るが、真実の覚者としての誕生なると教えるなり。
それが明諦としての命、子たる姿と教えるなり。
太陽の法嗣
大日 天光子
合掌