『真実の覚め・悟り2』
全ては覚めた自分と生まれる為にあると知れば、いかな道であろうとそこに迷う事はないのである。
その全ては、その覚めた自分へと向かわしめる為の道にすぎないからである。
さればそれそのものの言葉に捕まる事も、迷う事も、縛られる事もなくなるのである。
それはその真実と道理を知る為の道であり、そこと至る為の道、覚めへの道なのであるから。
さればそこにおいてそれを知り、自らのものとする事が大切であり、知り得た時、自分のものとして正しく獲得した時、そこから立ってゆく事ができるのであり、迷う事なくそれを正しく用いる事ができるようになるからである。
思惟し、智覚し、道となして、正しくその中にありて歩み生きる事が大切であり、逃避したり、厭世したりして、生を否定する事はないのである。
逃げる事は悟る事ではないのであるから。
全ては道の為の道であり、悟り覚めの為の道である。
それを獲得した者が真実の自由と、大いなる命を得るのである。
それを自らと他の為に正しく使って生きるから、真実の道は成ってゆくのである。
ゆえに全ては道の為の道であり、悟り覚めた自分と生まれる為の道と知れと言うのである。
逃げるのではなく、悟り覚めて正しく用いて生きなさい!
その為に命を生きているのであるから。
その為にその命をもって生まれてきたのであるから。
そこと生まれて真実の命と誕生する事以外の大事はないと言うのである。
その生まれゆく人生を知れば、なにも恐れる事はなくなるのであるから。
それを知らない人生こそ逆に恐れよと言うのである。
そのゆえに自己を滅ぼし、苦界迷道を輪廻するのであるから。
ゆえに真実の命の世界と生まれる事、それが真の天国と入る事と知る事なり。
あれが駄目、これが駄目なのではない、正しく用いる事が大切なのである。
その性も、食も、酒も、物も、金も、権力も、地位も、そしてその命も。
その為に命を命と知り、道を道と知る事が大切であると教えるのであり、悟り覚める事が大切であると教えるのである。
それは全ての命が迷わぬ為であり、苦しみから脱ける為であり、真実の命と誕生する為であると言うのである。
自由と平和と真実の命は、ただそこ
においてのみ獲得できるのであるから。
全ての友よ、汝等はその命に大いなる道と大いなる真実を秘めているのである。
ゆえにその命を大切と知るなら、早くそこと覚めよと言うのである。
自然とは自ずから然らしむるところにして、本来のあるべきすがたこれなり。
この自然が自然と正しくなるゆえにして、自由をそこに得るなり。
自由とはゆえにこの本来の自然、本来のすがた、自ずから然らしむるところに由る事を言うのである。
この自然が自然となるゆえにまたこれを自在と言うのである。
自ずから然らしむるところ、本来の自分が自分としてそこに在るからこそ、その命は自由にして自在であると言うなり。
この自然本来のすがたがわからないから、自由を誤ち、命を誤ちゆくと教えるなり。
自然を生きるとは自然を知る事であり、本来の自分と覚め帰る事である。
ただ出鱈目に生きる事が自然ではない!
それは最も自然に反するからである。
そのような生き方には自然はないのであるから、自由もまたないと言うのである。
真の自由は、その本来の面目たる自然の中より生まれてくるのであるから。
この本来の自然、真実の自己がわからなくしては、覚めた者とは言えないのである。
全ての中にその本来のあるべきすがた、自然を知るのが、真実の悟りなのであるから。
太陽の法嗣
大日 天光子
合掌