『法爾自然!』
如来神仏がそのようにすると言うのであるから、信じて修せばよいのである。
一切の計らいはいらない!
一切の疑心もいらない!
ただ信じて修せばよいのである。
されば、与えられたその法の爾にして自然の内に、
自己に然らしめられて、それを得ると知る事なり。
ゆえに信こそ肝心!
この信ゆえに全ては救われゆくと示すなり。
信じてその法を修し修して修しつづければ、、それは叶うのであり、それは成るのである。
信じるから、その信仰心によりてそれがそのとおりに成りゆく事を知る事なり。
この信仰心がたりないから、真実の成就を得るも叶わぬなり。
信じ、
信じる、
何があろうと信じる。
天地がひっくりかえろうが、信じ信じる!
全てがそこにおいて成ってゆくとは教えるなり。
法然とは、法爾自然これなり。
法然念仏においてその正法のままに自ずから然らしめられて、往生なすなり。
念仏これを法然となして浄土と至る!
これは正法をそのまま、名義に一と現すなり。
阿弥陀仏の本願力!
すなわち、真理の正法の爾にして自ずから然らしめられる!
これこそ他力一命の正法なるとも教えるなり。
この法諦と法然を知らぬから、これの不思議も解せぬなり。
念仏は法然
(法爾自然)、
題目は日蓮
(法爾自然)、
この名義一実の相諦と気づけば、
ともに同じ道とは知れるなり。
この如来加持の不思議が解せないから、迷いゆくとは示すなり。
名字即をゆえにそこに覚めよと教えるなり。
さればこの二人を争わす愚かも去りゆくなり。
如来は決してむずかしい事は教えぬに、その当たり前をこそ実と読めとは言うなり。
その上で一命の真実、実と至れと教えるなり。
全てはその命の教えにして、命の道とは知る事なり。
私はその全ての一を知るゆえに、
その当たり前の道理こそ説きて与うと言うなり。
ゆえに早く覚めよと教えるなり。
(真実の法と道は、あなた方の命、心で開くものにして悟りとは立心となす吾、自己の心と至るものなり!
その道において神秘不可思議なる世界と入りて、修し修して、実と覚め智慧を得る道これなり。
この自己の内蔵と生まれる世界の真実は、至りた者にしか解せぬに衆生人々にはなかなか理解できぬと言うのである。
この真理真実の世界を覚め気づかしめる為に法をかくかく与えると知る事なり!)
太陽の法嗣
大日 天光子
合掌