『妙法蓮華経の肝心!1』
妙法蓮華経とは、薩達磨芬陀梨伽蘇多覧(サッダルマ・フンダリカソタラン)と言うなり。
されば妙法とはすなわち、薩の法是れなり。
この『サ』とは『ア』字を親とするその子これなり。
妙法とはすなわちこの『アサ』の心こそ肝心なり!
『アサ』とは阿薩にして朝これなり。
阿はこれ夜明けの光明大日輪これなり。
薩はすなわち一命の法性これなり。
これすなわち朝、太陽大日の光と受けて蓮華の開き咲くを示すなり。
この朝の覚めの心こそゆえに妙法なると知る事なり。
この妙法すなわち、合せ鏡の理、大円鏡智に依りてはじめて蓮華の咲くに、その一命の境地冥合を示して、妙法蓮華と示すなり。
さればそこにおいて一命と蘇生せしめて、広く開くに蘇妙これと申すなり。
蘇多覧とはまた多くを並べて蘇えらすを示すに、これを妙法蓮華の経とはそこに顕すなり。
この妙法と蓮華と経を一命と読めずしてこの五字の命はならずと知る事なり。
その妙法とは薩達磨、達磨とは法にしてよく達し一命と磨く法の大意を示すなり。
すなわち、妙の義、薩をよく知りて、その親たる阿字一命となす心を読めと示すなり。
朝の光明と合せ受けて一如となすに、蓮華の開くを知る事なり。
それが『阿薩』の心と示すなり。
太陽大日を離れてゆえに薩字は生まれぬに、太陽法身、大日如来こそ大切なせと教えるなり。
この阿とは太陽法身、すなわち太陽宇宙にして日輪これを示すなり。
はたまた、この阿とは地大の阿にしてこの全ての地とも教えるなり。
この阿すなわち、天と地と一命となしてはじめて蓮華は咲くと知る事なり。
この大理自身一命の地大の命と読むが、その法の肝心これと教えるなり。
太陽大日の光明を受けて自然の内に開かれる蓮華の妙を教えるなり。
この一命の妙法こそ妙法蓮華経の真実、正義とこれを教えるなり。
日蓮を日蓮と名付けたのもその日一如の蓮華を実と咲かせと教える為に、それと与えると知る事なり。
されば、太陽法身、主としての大日の阿が無くして薩はないのであるから、決して大日を否定してはならぬとここに示すなり。
太陽を否定して蓮華の咲くはならぬなり。
この当たり前の道理こそよくと覚めよと教えるなり。
南無妙法蓮華経
オ一ンサッダルマ・フンダリキャ・ソタラン
太陽の法嗣
大日 天光子
合掌