目出度い | 太陽王法の会


『目出度い!』


目出度い、目出度いと申して、なにが目出度いか!

目を出して度す!

すなわち、迷いの命から覚め悟りの命へと度す、渡る事ができたから、これ目出度いのである。

無明の新年(命)なれば目出度い事の非ずなり。

覚めて目を出して(開眼)、自己を度すからこそ、目出度い、新年(誕生)をなすと申すなり。

目が出て空っぽになっているは目出度いなり。

覚めて空となっているから、目出度いのは当然なり。    

暮れに大祓いをなして、除夜と突き出して、新年(新しい命)と誕生するから目出度い事と言うなり。

その命を祓わずして、夜(無智無明)と除かずしては、目出度くなきと言うなり。

目の出るとは、新たな光(命)、日の出るが如くにして、度すとは救われる事にして、渡る事とは示すなり。

彼岸、悟りの岸へと渡るに、目出度い、目出度いと言うなり。

それが正月新年なるとも教えるなり。

(度とは、救う事にして、迷いの岸より、覚めた悟りの岸へと渡らす事を言うなり。

十度の道、壇・戒・忍辱・精進・禅・慧・方便・願・力・智の十度十波羅蜜多の道はその渡らす為の道とはこれを教えているなり。

これを完成して大いなる悟りと至るから目出度いのです!

目出度いとはゆえに、迷いの眼を開いて開眼し、目を出すから目出度いと言うなり。


太陽の法嗣

大日    天光子

合掌