『苦もまた師と聞く!1』
この世は苦である。
全ては苦であると言う言葉は誤った言なり。
例えば友よ、仏法の四諦において苦を示すに、それをとらえて全ては苦なりとか、この世は苦しみなりとか、断定して申してはならない。
そこに断定して申せばこれ誤ちなり。
よいかな友よ、苦とは、苦の一にしてなるにこれ非ず!
苦とは苦楽相対の一にして、その一方の表現なり。
苦楽はこれ声字なり!
苦楽相対はこの声字をもって表現す!
しかるに、このただ一方をもって断定して、全ては苦なり!
この世は苦なりと申せば、これ偏りの法となるに誤ちなり。
苦は楽に対しての一方の表現にして、楽に対するところの苦なるに、その一方を離れては、その一方もなくなるなり。
苦楽はこれ因縁なり!
苦楽と示せば、苦楽は声字をもって表現す、苦楽これ相対の表現なり。
苦を離れて楽無く、楽を離れて苦無く、一方はこれ一方の表現なり。
苦楽これ因縁に依りて生起するなり。
悪因悪果はこれ苦なり!
善因善果はこれ楽なり!
すなわち、本道自然と示せば、苦に非ずして、楽に非ずして、本道中道こそ自然なり。
すなわちこの中道本際を離れて一方に断定して論じるならば誤ちなり。
例えば、その意義正しくつかめず、ただ苦諦をして、この世は苦なり、全ては苦なりと申せば、八正道もまた苦となるなり。
愛も苦、
思いやるも苦、
大切にするも苦、守り守られるも苦、等々あらゆる全てを苦と申する事になりここにおいても、これまた真に非ずと言うなり。
苦は苦楽相対の一方の表現ゆえに、一方の偏りは中道に反して、真とならぬと知る事なり。
ゆえに、苦楽これ因縁なりと覚めて、その本際中道に立って、苦楽を超越して苦楽を知り、苦楽の世界と帰りて、一命万命の楽土と作すが衆生全ての務とは示すなり。
太陽の法嗣
大日 天光子
合掌