『大いなる一の教え!』
真実の悟りを完成した者は真実の一を説く者なり。
一乗とは全てを一と乗せる事であり、一と正しく導く事である。
ゆえに、大乗と言うのも、全てを大と乗せる事であり、宗教対立を説く事などないのである。
真理を一本の木に例えるとその幹が本体であり、そことひとつにある枝が世界中の宗教である。
その枝と枝が互いに自己の宗教が一番と争っている以上、今だ一を知らない宗教とゆうのである。
全てを一と手の平にのせて一と見て知らずして、一神教と言い争うのは、今だ真実を解せぬ宗教である!
そのような世界の宗教では第一義諦の悟りは理解できていないのである。
無上最上義の神の世界は解す事はできないのである。
全てが神ゆえに一神教と言えるのである。
一乗と至り説く仏陀は当たり前にこれを真と説くが、迷いの衆生には理解できないと知るのである。
そんな事ではその真理の幹にはなれないのである。
私はただ宗の一字を説きても、全てと説くのである。
その宗の一字を全てとあらわし説いたのが、その教なのである。
大いなる神と至り知るのはこの一を説けずしては真実とは言えないのである。
私はゆえに神という一字を説きても全てと説くのである。
衆生には難信難解なるもあえて私はそれを世界中の人々の為に説いて教えるのである。
真実の仏陀はそこと至りて神一如の神、金剛神と生まれたのである。
私はその道と開き悟りて、智慧の道を修し修して、第一義諦の悟りと説いているのである。
みな早く真実に覚め気づきて、真実の命と生まれ、大きく生きて自分を完成して、真実の世界、真実の命と生まれゆけとは教えるなり。
太陽の法嗣
大日 天光子
合掌