民族対立は万世の中の一番の愚 | 太陽王法の会


『民族対立は万生の中の一番の愚!』


人間は無知ゆえに民族と分けて対立したり争いたりして苦しみを生みゆくのである。

それは真に人の愚かな証であり、最も悲れな姿である。

人は他の生物、生類と違って、その生まれにもとずく特徴が色々と異なっている事はなく、同じなのである。

人以外の身にうけた生き物の間にはその生まれにもとずく特徴が色々と異なっており、区別があるが、人間の間ではこの区別は存在しないのである。

人間の間で区別表示されるのは、ただ名称のみなのである。

人はよくこの事を見て、明らかに知る事である。

人間は人間としての種であり、その種は本来一であり、ただ一つの属なのである。

ゆえにその生まれにもとずく区別や、特徴が異なる事は無いのである。

例えば目の色、髪の色、肌の色、言語の違いなどと言うのは、その種と属においてはなんら差別するものではなく、差別されるものでもない!

根本の生命より見つめれば人は同じ種であり、同じ一つの属である。

例えば他の生類にこれを見つめて知る事である。

草や木々や花々にはそれぞれ、区別のある事を知る事である。

かれらの特徴はその生まれにもとづいており、かれらの生まれは色々と異なっているからである。

花という属にありても、木という属にありても、草という属にありても、その種がそれぞれのその生まれにもとづいており異なっているから、花にしても、バラ、チュ一リップ、ユリ、ボタン、スミレ、ヒマワリ等々と、同じ花属であるのに区別なして存在し、その形や特徴が色々と異なっているのである。

それはそれぞれがその生まれの種にもとづいて異なり、区別されているからである。

しかるに人間には、これがない事をよく知る事である。

木もまたかくの如くその種によって異なり、区別がその特徴として存在するのである。

犬を見て見るがよい!

犬属においては一つであっても、あらゆる姿形が異なり、区別があるのは、みなその生まれにおいて異なるからである。

しかしかれらは、我々は何々族であると言いはる事は無いのである。

犬属として種を異にし、形を異にしても、それをして争う事はないのである。

人はこの事をよく知る事である。

鳥達を見よ!

かれらにはその種類の区別のある事を知る事である。

かれらの特徴もまたその生まれにもどづき、その生まれは異なっているからである。

しかしかれらは個々と対立し、私達は何々族であると主張して争うような事はしないのである。

水の中に住む魚達にも同じように目をむけて見ることである。

みな種に区別があり、それぞれの特徴は生まれにもとづいているのであり、その生まれによって異なっているのである。

虫達にこれを見よ!

小さなものでも、大きなものでも、四足獣にも全てこれを見よ!

かれらは全て種類のあるを知る事である。

かれらはみなその生まれにもとづいて区別し、異なっているのである。

しかしかれらは、人間のように、私達は何族であるなどと言い張ったりはしないのである。

あらゆる生類はこのように、生まれにもとづいて区別されているが、人にはそのように生まれにもとづく特徴が異なっていると言う事はないのである。

髪、頭、耳、眼、口、鼻、唇、眉、首、肩、腹、背、臀胸、陰所、手、足、指、爪、脛、腿、内蔵、骨体、脈体、皮膚、筋体、肉体についても、他の生類にあるような、生まれにもとづく区別はないのである。

ただあるのは名称の区別のみである。

人間はよくこの事
を認識して、生類の一番愚かな姿である民族対立などという無知は捨てる事である。

人間に差別は無いのであり、全ての人はその生まれによって差別される事も、差別する事も無いのである。

人はその行為によってのみ、尊くなり、卑しくなるのであり、その人にある区別はただその行為と名称にあるのみである。

人としての差別、区別など本来どこにも存在しないのである。

人よ、全ての人間達よ、その愚かで恥ずべき無知を去りて正しい智慧と知り覚めなさい。

そして全ては調和して天への道と覚め歩みゆきなさい。

全ての幸せと平和の為に覚め生きなさい。


太陽の法嗣

大日    天光子

合掌