『仏陀は全てを生かす名人!』
木には沢山の種類があるが、その木はみなひとつひとつが大切な命これなり。
例えば友よ、名人と言われるような植木職人ならばその全ての木を大事にして生かす心をもちゆくなり。
時に応じて、機に応じて、その枝を切り整えたりなすも、その木を根こそぎ潰す事などなさぬなり。
これをゆえによく合わせて一切の宗教者は、心と読めと言うなり。
仏陀というのは真理大法の大導師これなり!
その仏陀が、念仏だ、題目だ、真言だ、禅だ等々と分けて対立せしめる事は非ずなり。
念仏の木を見たら、その枝をその機に応じて、時に応じて、よく整えても、根こそぎ倒してしまう事などなきとは知る事なり。
題目の木も、真言の木も、全てその至るところの道を一と知るゆえに、よくその枝を整え、その命を育てても、潰してしまう事など絶対なきと示すなり。
かの植木の名人のように仏陀は全てを正しく生かすを知る事なり。
ゆえに大導師とはこれを申すなり。
自宗のみ正と申して他宗と別して毀他するような者達はゆえに、一種類の木以外は全て根こそぎ倒し、潰してしまうのが、正義と思うと同じなり。
そんな植木屋ならば、自らの家が倒れるものと知る事なり。
仏法それも大乗とはそんな小さなものに非ずなり!
仏教、神教を超えて全てを一の真理へと帰一せしめる大法なると教えるなり。
全てを一と大きく乗せてひとつと帰一せしめるに、真理とこれを言えるなり。
真諦第一義諦、一義処とはかくの坐処とは教えるなり。
ゆえに早く、哀れにして愚かな宗の対立を離れ滅せよと言うなり。
それよりも真と覚めて真実の命と帰る事こそ大事になせと教えるなり。
太陽の法嗣
大日 天光子
合掌