『大切!』
大切にするを大切にする事こそが大切なり!
大切にされる者が、大切にするを忘れたならば、もはや大切にされる価値はない!
例えば、物に大切にされて生きて、その物を大切にできないならば、その物に大切にされる価値もないと言うのである。
ゆえに人は、大切にするを、大切にする事こそが大切なると教えるなり。
一粒の米を大切に蒔けば、無限の命を生じる!
人はその命によって守られ、大切にされているのである。
その人が、その大切にしてくれる命を粗末にして、大切にできないならば、その人はまさに、大切にされる価値のない人と言うのである。
人は、自然に生かされ、自然に守られ、自然の命をもととして生きているのである。
すなわち、全ての上において大切にされて生かされているのである。
その人が、自然をおろそかにして大切にできないならば、自然からもまた大切にされる価値のない人となるのである。
全ての物を見よ、みな自然を親として生まれて、人の為に働き、人を大切にして存在するのである!
人はその物を粗末にして大切にできないならば、全ての物に大切にされる価値もなくなるのである。
この大切にする心と言う真実の心と覚めれば、物を大切にする心が生まれて、真の価値の解る人となり、自らもまた、価値ある人となれるのである。
人はこのような当たり前が解らず、命を誤ち生きて苦しみを生んでゆくのである。
自然を大切にしようと大声で叫ぶ人々がいる!
まことによき事であり、全ての人々が、そうありたいものである。
しかし人々よ、その上でよく真実を見つめて見る事である!
自然を大切にしようと言う人々が、その生活において物を粗末にしたら、自然を大切にしようと言う心が嘘になるのである。
全ての物はすなわち、自然を親として生じるに、その物を粗末にしている事は、そのまま自然を大切にしていない事となるのである。
一枚の紙とて、自然を資(親)として生み出されたのである。
人々はゆえに、自然を大切にすると言う心を正しく知るならば、全ての物を大切にし、大事に使う心こそ取り戻す事である。
それが一番の自然を大切にする心とつながるからである。
この当たり前を忘れ、物を使い捨てにし、無駄にし、粗末にして、自然を守ろう、自然を大切にしようと言っても、みな真実にならないのである。
ゆえにまず、足りるを知り、本当の物の心とその価値を知って、無駄を無くし、粗末にせず、大切に生きる事から実行する事こそが、最も大切な事と教えるなり。
太陽の法嗣
大日 天光子
合掌