『太陽の法と妙法蓮華経!』
妙法蓮華経は太陽大日如来とむかいて、その光明一如一体して仏性蓮華と開き咲かせる法これなり。
妙法とはゆえにその甚深密々の法にして、太陽大日密門の法これなり。
その神秘甚深不可思議大法と開き与えるが、太陽大日界の妙法これなり。
それを自らの命と受けて一命と覚すを求めるのが、その法を修す衆生の妙法これなり。
すなわち、如来加持の義にして理となす!
大法の加持こそこれ真実の妙法これなり。
これを受けてよく大覚なすは、自身一命の法性蓮華を開くる相と教えるなり。
妙法すなわち、摩訶毘盧遮那(大日如来)の大法華厳と受けて、自身内証の蓮華と開き覚めて咲かするにこれをして、自受体得の一法これと教えるなり。
これまたゆえに、大日の太陽の法の一法なると証するなり。
太陽の昇りて咲く、蓮池の蓮華に学べと言うなり!
その自身内なる庫と開いて仏性と覚め開き真実の悟りと至り、自身が真と開眼なして目の鱗をおとして、その神秘なる道に修し修行して智慧を完成して自らが真の経、すなわち教えを説く命と生まれる事が、その真実の悟りの道なり。
この神秘実体験無くしては真実のところは解せぬなり。
この事実は真と至らぬ者には決して理解できないものなり!
道は深く広大無辺とあり、全てを超越せずして、小と分断対立しているようではそのまま真と至りていない証なり。
道を知らず道を見て至らずして好き勝手に申している宗教団体はみな妄語にして誤ちなり。
人々は、真実の道をこそ、学び修し修せとゆえに教えるなり。
神秘体験を得て、たとえ開眼したとしても、道はそこから始まる事も知る事なり。
頭頂に油(香油)を注がれずして、仏陀と言うも誤ちなり!
なにも知らずして勝手な教えを説いて人々をたぶらかすのは大きな罪ゆえにやめる事なり。
太陽の法嗣
大日 天光子
合掌