『今!』
今という、この一字に含む無限の空間と永遠の時、今、この道を全ての民は旅をする。
今を正しく生きれる者達こそ、その永遠を生きれる者達こそ、その永遠を生きる者達なり。
今、この今こそが、全てなればなり。
過去という全ては今という現在に擬縮し、今という現在が未来に展開する!
それが今である。
この今をおいて大切はなく、今が全てなのである。
この今という全ての中に、過去と現在と未来がおさまり、無限の空間と、永遠の時がおさまる。
この今を忘れ、今を生きるを知らないから、人は迷いの命となる。
されば今を正しく生きれる者達こそ幸いなる者達と言うのである。
この今を知って今という時を大切に生きる事こそが一番大切なのである。
今を覚めて生きよ!
今という時を精一杯生きよ。
『人生という一生の中で、どれだけ結実した果実を育てて、生み出しえるかが問題である。
人生の中のほんの一瞬の事をもって全てのように問題にするのは馬鹿げている事である。
私の生涯をかけてはぐくみ、育てて成し得るその果実はやがて、世界中の民の心たる命を満たして、餓えさせる事がなくなるからである。
私の成すところの果実は、千年、万年、億年の民のその命を養い、育てて、永遠と餓えさせる事はないのである。
その事を考えると、私の人生の中の影の部分をもって論じ、問題にするのは馬鹿げた事である。
その影は全て今においてその果実の為の大いなる肥やしになっているのであるから。
人よ、友よ、この人生という一生の中で、どれだけ結実した果実を育て、生みなし、それが世界万民の為になって、そこになにをなすかをこそ、考えて生きる事である。
さればその途上のささやかな事に、執らわれる事はなくなるのであるから。
太陽の法嗣
大日 天光子
合掌