古代宗教の誤ち・太陽正法と古代の天地観 | 太陽王法の会


『古代宗教の誤ち・太陽正法と古代の天地観!1』


人々よ、私は太陽を主とした正しい法を説くのであり、ゆえにそこにおいて地の一切はひとつになるのである。

古代の人々の思想思惟においての悟りは、地を中心においてそれを説くのであり、ゆえにその地に覚した者が沢山生まれて、宗教を分け、神仏を分けて対立を生じたのである。

即ち、古代においての天地観は天地を二分するものであり、平面の天地観ゆえにその広大無量とする地に沢山の王が生まれて国、世界を分けたのである。

宗教がこの転倒を覚めて太陽中心と帰一すれば、全てはひとつになるのである。

古代の宇宙観、天地観は平面であり、今の如く地球の丸い事など知らぬゆえとは知る事なり。

ゆえに聖書の如く、この天地を創造するに、この世界の天と地を先に生み示して、日月をあとに生むという教えを説いたのである。

神道においても、天地に堺なく、混沌として渦巻いていた状態より示し、やがて清く澄んだ気がたなびいて天となり、重く濁っった気がかたまって地となり、世界が天と地に二つに分かれたと示し、天地の誕生を示すのである。

聖書の創造においても、天と地を初めに創造して後の第四日目に、昼をつかさどらせる大きい光を造り、また夜をつかさどらせる小さな光を造り、日月とし星々も造ったと示すのである。

これは、神道において天地の誕生の後、世界はまだ完全ではなかったので、『この漂える国を修め、つくり固めよ』と、イザナギ・イザナミ神の二神(男女神)による国造りをし、そのいた神の禊ぎ祓えによって天照大神を左の目より生み、月読神を右の目から生みゆき、『日たる天照大御神は天上界で高天原を治め、月たる月読の命は夜の食す国を治めよ』と示し、日月を誕生した事を示すなり。

即ち、平面なる天地を二分して創造し、その国造りをして昼と夜をつかさどる!

日と月を生んだ事を示すのである。

この宇宙観、天地観は、古代においては全ての宗教において同じである。

古代ギリシャのアポロン太陽神は、広大な天と地にあって、日輪を馬車に天を駆け、地の道を通りゆく日をつかさどる神とするのである。

古代インドの天地観も、須弥山を中心として四方四天下に広大と広がる世界とするのであり、その二分した平面の天地観をもって教えとするのである。

仏教においても西方にたどりて十万億土ゆくところに、日輪をおさめる地としての阿弥陀世界、西方極楽浄土のある事を示すのであり、東西南北の各々世界を示すのである。

その天地観ゆえに日月を地がおさめる思想が生まれているのである。

これは、イスラ一ム教においても、古代の天地観は同じである。

ゆえにそこに、各々において大覚成道した神が生まれ、仏が生まれ、その大覚においての天地一如、宇宙即我の境涯において、その二分した天地の地王として、自分が誕生するに(宇宙即我)、それぞれの宗教が生まれて王国が誕生なしたのである。


太陽の法嗣

大日    天光子

合掌