『道!』
道は全て、至れるとか、至れないとかでなく、めざす事が肝心なり。
一歩一歩たゆまなくゆけば自然のうちに到達する!
それを無理と決めつけて生きるのは誤ちなり!
一歩ゆけば一歩近づくを忘れてはならない。
神仏は、その汝を常に見つめているのだから。
道とは前を見て歩む事こそ肝心なり。
一歩ゆけば一歩近づき、その一歩の歩みが、道とはこれを教えるなり。
万里の道も一歩ゆくに、やがて到達するなり。
その一歩を正しく自在と楽しみてゆくがよきなり。
世界をよく見て、全てをよく見て一歩とゆけば、知らぬままにそこと得るなり。
神仏はその歩みを助けながら、そばで見つめているなり。
ゆえに一歩をゆくを知れと言うなり。
私は過去に無実の罪で獄舎に入るなり。
その獄窓独座にして、自由なき境涯において一歩これをゆくなり。
獄の務め全てこなして、人に勝りて劣る事これなし!
作業作務においてこれなり!
その生活全てにおいてこれなり。
しかるにその間をもって道これをゆくなり。
獄中独座にして天空を駆け、法道をめぐり、道これをなすなり。
我の道ただ一歩、これの積み重ねこれなり。
大法神秘これを得てよりこのかた、我は道と一なり!
道の聖衆と一なり!
朝と昼と夕と夜と、我常に一歩道をゆくなり。
ただ万界の民これを思いて、全ての救い、全ての覚め、全ての幸せ、これを思いて、道と修するなり。
太陽常と我を照らして道を示すと知るべきなり。
天は父なり!
太陽は主なり!
道は父なり!
道は母なり!
聖衆を友とし!
万界を師とし、一歩、一歩、ただこれと歩むなり。
世間自由なる境涯の友等、なにゆえ、これをゆけぬなり。
ただ一歩をゆくこの心こそ大切なると教えるなり。
大慈大悲の心を因として常とゆけば、天道はおのずからそこにくるとは知る事なり。
道は全て至れるとか、至れないとかでなく、めざす事が大切なり。
一歩一歩ゆけば、道の方から近づき来ると教えるなり。
(太陽主と神仏はあえて私を獄舎に落として、法と修せしめ悟りを与えくれたなり。
その偉大なる神秘真実は人々に語りても、信じられぬ世界なり。
私はその道に修し修して、大智万道と説く命と生まれたなり。
天なる主は獅子が子を谷と落として自らで上がってくるを見つめていたなり。
私はその神秘世界において第一義諦の悟りを完成し、万道の智慧を説く命と生まれたのである!)
太陽の法嗣
大日 天光子
合掌