『大いなる気!』
神と仏、神仏の愛は束縛の縄ではない。
もっと大きな大きな広く自由なる愛と慈悲である。
この天地世界にはその愛と慈悲が満ち満ちているのであり、その光明の気、それは全ての上に及んでいるのである。
それを知るか知らないかによってその命の生き方が大きく変わるのである。
慈悲の気と愛の気は遍満して全ての上に及んでいる。
全ては一人残らずこの真理(神仏)の気に包まれて暮らしているのである。
この愛と慈悲を正しく読む事ができないから、人は迷い生きるのである。
これと覚めた人は、それを知るから喜んで自らもまたそこと入りて生きる事を知るのである。
その者こそゆえによく天国を知り、天国を生きる人達と言うのである。
慈悲と愛の気は、命を癒し、命を養い、命を育てるのである。
慈悲と愛の気は世界を癒し、世界を養い、世界を育てるのである。
全てに遍満するこの大いなる気、真理の気に覚める事こそ人は大切なのである。
その上で自らもまた、そこと入りて生きる事が大切なのである。
その気が、自らを癒し、他を癒し、自らと他を養い育てゆくからである。
大いなる光明の気を自らのものとして生きる者は幸いである。
その者は自らと多くの他と、世界を導き、癒し、救う者となるからである。
全ての人々が、この原理に覚めてそこと暮らせば、世界はたちまちに天国と変わるからである。
光明の気を集めて慈悲と愛の心をもって生きよ!
されば汝はすでに神の使徒にして仏の使いこれなり。
神仏の光は汝の上において、汝をして多くの者を癒し、導き、育て、救う事になるからである。
全ての子達がこの大いなる道の心と覚めれば、天国はそのままそこに光となって開くなり。
闇と迷い、その暗きところに暮らす人々を、癒し、導き、救い、明るいところへと引き出すのは光明の気である。
光が全ての闇を破るように、光はその病みをこそ癒すなり。
されば、慈悲の心と、慈愛の心を自らのものとして、一身光明と集めて生きれば、自らの周りを癒し、救い導きゆく命と誕生すると知る事なり。
天地に遍ねく満ちるところの慈悲と愛と、光明の気を一命に集める者は幸いなり。
その者こそ末に仏陀と生まれ、神人と生まれる確実なる命を手にした者だからである。
全ての友よ、これは汝等一人残らず、平等に与えられている命の道である。
ゆえに、その命を覚めよ!
その偉大なる真理、命の道をこそ覚めて、真実の誕生をそこになせとは教えるなり。
生死を超えた天国は、そこにおいて差別する事なく、汝等のものとなればなり。
(地・水・火・風・空・識の6大宇宙は合せ鏡にして、天地自然、生命の一切なり。
この全てにまた慈悲と慈愛あるなり!)
太陽の法嗣
大日 天光子
合掌