『太陽のあるべきすがた!』
太陽は全てに光をあてる者にして、光をあてられる者ではない。
されば全てを導く者にして、導かれる者ではなく、
全てを生かす者にして、生かされる者ではない。
この天地に即してしてこれを見よ!
太陽こそ主にして親にして、一切の師これなり。
その光明ありて全て明かさる事を知る事なり。
月に光をあてるのは太陽これなり!
されば月輪と住する一切尊に光をあてるのも、ただ太陽これなり!
地涌の蓮華摩尼に光をあてて、開き咲かせるは太陽これなり!
さればその仏性(蓮華)、神性(菊華摩尼)に光とあてて、開き咲かせるは太陽これなり。
さればその仏性(蓮華)、神性(菊華摩尼)に、光をあてて蘇生せしめるも太陽これなり。
太陽になるとはゆえに、このように生まれる事を示すなり。
過去の宗教の枠の中に取り込まれるのでもなき、おさめられるのでもなく、その全てを超えて全てをおさめてゆくのが、太陽これなり。
そこにおいてのみ、全てを照らす遍照、太陽と生まれるものと示すなり。
一切の枠を超えて自在天空心、自在光明心と至るはこれなり。
月氏如来をも照らし、一切金剛をも照らす!
全てを一となして、一と超えて、その大いなる一と誕生する!
それが第一義諦の太陽と生まれる事これなり。
全ての主にして、親にして、師と輝くはゆえに太陽本道の道これなり。
この太陽に生まれ得ずして大宇宙生命を語るなどは愚かの極みと言うなり!
ゆえにまず自ら達の主とはいかなるものか、実と覚めよと教えるなり。
太陽の法嗣
大日 天光子
合掌