法華蓮華を持する者達よ | 太陽王法の会


『法華蓮華を持する者達よ!』


地涌千界にある蓮華を持する菩薩達よ!

汝等太陽大日光明と加持冥合してまず自己の蓮華(仏性)を開花し咲かせよ!

自己の蓮華を知らずしてこれのなるはあたわず!

自己の蓮華と覚めて大日光明と加持なすにそれの熟すと知る事なり。

それ熟さずして覚めたる光のそこに生まれぬなり。

熟すゆえに自他の覚行円満なると示すなり。

円満とは一円大円と満ちて充るゆえにこれを言うと知る事なり。

一切を一と円満せしめて一と至れずし、これと申せぬ事も知る事なり。

ゆえにまず自己の蓮華(仏性)こそ蘇生せよとは教えるなり。

それには太陽大日の光明を一と写せと言うなり!

月の
輝くのもただ、
太陽大日に依るがゆえとは知るべきなり。

これを忘れて、
自性蓮華、
実と覚すはならずを命にきざめと教えるなり。

『法華経とは一乗開示の経であり、教えである。

一乗とは一と乗せる事である!

全てを一と乗せる事である。

この全の一をして正と言い、その全の一の法を正法と言うなり。

即ち、
一即全・全即一となして一乗となすゆえに、真の法華とこれを言えるなり!

されば
そこにおいて
二と分けたり、
三と分けたりして別し対立している以上、法華一乗には非ずとこれを知る事なり。

全てにおいての
対立を離れる、
そのまま全てを認めてその一と乗せるゆえに真とはなると知る事なり。

例えば、
念仏とも、
禅とも、
真言とも、
神道とも、
神教各々とも、
全ての対立を離れて全てを
一相・
一味・
一法と見て、
そこに正道真実を説く者を真の一乗大覚者とは言うなり!

全一元の一、
この一をこそゆえに正と教えて、
その一切の対立、差別のなくなりた真諦の一をこそ真実の一乗法華と言うなり。

この一を知らずしてゆえに正に非ずと言えるなり。

されば、
正とは一なり!

一が正なりと気づき覚めて、全ての対立を離れて一と生まれて、一と生きよと言うなり。

これをなせなくしては、永遠と正法これとは言えぬなり。

謗法を旁の言と示す事をよくと見よよとは示すなり。

愚を隅の心と示す事も、よくと見よと言うなり。

本際中道とは
左に非ずして、
右に非ずして、
左右に非ずして、その中道にありて本不生の義一と覚して三諦円融、
三身一如の大義これと解せずして、一の究竟はならぬなり。

我はゆえに秘密大一乗の真実と明かして、それを広く説くとは示すなり。

ゆえに全ての法華者は正とは一なり!

この絶対の一をこそ正と言うとは忘れてならぬと言うなり!

絶対とは、
対を絶して一となす事なるに、この全ての対立をなくし一をこそ早く覚めよと教えるなり。

そこにおいてのみ正法としての法華も、完成すると教えるなり。

阿のく多羅三藐三菩提とはこの一の覚明、無上正等覚の座をこそ言うと知れとは示すなり。

そこにおいて
全ては
上無くして、
下無く、
下無くして
上無く、
上下の無くなりた一を知るとは示すなり。

その正等覚を得るに真実の智慧、
そこに生ずと知る事なり。

(正は一と読むなり!)

ゆえに正月元旦をして、一月一日、一の月の一の日と言うなり。

この一の月は、
一の日が集まってこそ成立すると知る事なり。

日の光を集めて一と写す月、そこに命の明(妙)の治まるなり。

ちなみに元旦とは、元(初め)の日と一(旦)となすゆえに元旦と言うなり!

よくその文字が教える事を知る事なり。


太陽の法嗣

大日    天光子

合掌