『真実の誕生は魂(心)から!』
私は知識の飾りによりて私と誕生したのではない。
私は、
私の命の奥の魂、心より誕生したからである。
私のその心、
魂によりて、
その魂に共鳴した世界が私に集まって来たのである。
その真なる世界とひとつになって、
私は道をなし、
自分をより確実なる者と完成せしめたのであり、
誕生せしめたのである。
私は
ゆえに無智無学、大愚の私であるにかかわらず、
今の私と誕生したのである。
私にはそれらの知識のかけらほどもなかったのに、
こうして私は大きく生まれたのである。
それは私の心が
世界を思い、
民を思い、
特に世界中の幼き子供達を思いやり幸せにしたいと言う心にあふれていたからであり、
私の魂が、
慈愛と慈悲の心に近づき、覚めたからである。
その私の魂、
心において私は私を完成せしめたのである。
なぜならば、
その魂に応えて、大いなる世界が次々と集まって来て私に験われ、
私と競い、
私を試し続けたからである。
私は真実と道理をして、それと相対している事によりて今の私を生みつくりたのである。
ゆえに
知識はまた、
そこにおいてそれを超えた智慧として命についたのである。
されば知識の飾りにおいては、私は今だ無学なれど、命の智慧と教えにおいては、人の世の全てに勝る者となったのである。
万経の聖典も、
教典も、
そこにおいてただ私の事を語るものにすぎなくなり、私は時に、
それらを遥かに超えて道理を説く者となったのである。
それは全て、
私の魂より始まったのであり、
命の奥、
その宇宙より始まったのである。
この壮大なるドラマ、命の内なる神秘甚深なる大いなるドラマが私を生んだのであり、
これゆえに、
人に語りても理解を超えると言うのである。
ゆえに人は、
この私が私と今、生まれているという現実こそを見よと言うのである。
この現実は動かずして事実としてここに展開しているのであるから。
私の万教聖典はここにおいて事実生まれたのであるから、道をゆく全ての者はこの心こそ正しく知る事が大切と教えるのである。
太陽の法嗣
大日 天光子
合掌