太陽こそが本尊 | 太陽王法の会


『太陽こそが本尊!』


この天地、
始まって以来、
私を超えて太陽の法を説いた者は一人もいないのである。

ゆえに全ての古き太陽神はみな私の法蔵の内なる一光これにすぎぬなり。

その全てを一となして光となし、
大正法とあらわしめたのが、私の法教なると知る事なり。

太陽の法に
おいてはゆえに、釈迦も
イエスも、
マホメットも、
老子も孔子も、
ソクラテスも、
空海も、
法然も親鸞も、
最澄も、
道元も、
全ての聖人賢者もみな、私に導かれる者にして、従うべき者と言うなり。

されば、
ヤハウェも、
ゼウスも、
ダビデも、
アポロンも、
ス一リャも、
ビシュヌも、
シヴァも、
ブラフマ一も、
天照も、
全てまた、
太陽の法と説くにおいては、私を超える事はないのであるから、
全てまた私を従える者には非ずして、私の法教には従うべき者とは言うなり。

天地
始まって以来、
太陽の法を全てと説き、大いなる命の原理を説けずして、真の太陽の法とは申せぬなり。

この事実こそ全ては命に聞けと示すなり。

古来の太陽観はみな小にしてこれ誤ちなり!

真実に反するゆえにそれすなわち、妄語これなり。

今となっては、おとぎ話これなり。

それ全て
その天地観の誤ちゆえに生じるなり。

この地より太陽の登りて地に帰ると考えたは、
その時代の観これゆえなり。

馬車に太陽を乗せて地より天と登りゆくと言うたとえはこれゆえなり。

南方の太陽の座を馬座とするのもまたこれゆえなり。

仏法に示す須弥山思想、これを見ればまた明らかなり!

そこに示す須弥山は、この世界の中心にあるとされた山であり、その高さは水面より八万四千由旬、水底より水面まで同じくまた八万四千由旬と示して、全体の高さを十六万八千由旬と示すなり。

更にその周りの
全てを示して何万由旬などと各々示して、この世界の東西南北これをあらわすなり。

それに比べて、
太陽の事として日宮殿とし、
その大きさは宮殿七宝にして、
八百十六里・五十一由旬なりなどと示して、七宝の車を八匹の駿馬にかけて四天下を一日一夜にめぐり
四州、即ち東西南北の衆生の眼目と成り給うなどと示すなり。

よくこれを見る事なり!

この世界の中心にある山がその高さのみをして十六万八千由旬ありと言い、太陽はと言えば、ただの五十一由旬と示すなり。

この地が広大無尽にして太陽はその地より登りて八匹の駿馬にかけて四天下を一日一夜にめぐると言うなり!

このような思想宇宙観はもはや妄教なると申するなり。

地球は太陽の惑星にして、太陽のまわりを逆にめぐっている事は、今や当たり前の理とは言うなり。

地球は回転楕円体で、赤道半径は六千三百七十八キロメートルにして、三百六十五日強で太陽を一周し、
二十四時間で一自転する!

それに比べて太陽は太陽系の主にして、中心をなす恒星にして、太陽系の質量を占めて、その大きさは半径が、地球の百九倍とは示さるなり。

されば、太陽系の主にして中心は太陽なるは当然の道理これなり!

太陽を八百十六由旬などと示す愚かしき時代の教えは、悉く太陽を軽視して脇においてこれを示すものと知る事なり。

釈迦の宇宙仏陀観もそこにおいてはこれと同じくして妄にすぎぬと示すなり。

そのような妄教を大きくいくら申しても、意味無き愚論と言うなり。

それをして宗教を語り、争うなどと言う事は真、愚かの極みと言うなり!

そのような時代に、太陽を語り、太陽の法を示しても全て妄語にして真に非ずと言うなり。

ゆえに天と地の逆さまなる思想の上の教えは全て、誤ちなると教えるなり。

宗教においてゆえに太陽の主たるを忘れて、この天地を論じているに全て誤ちこれと教えるなり。

この世界の主は太陽にして、全ての主にして本尊はゆえに、太陽なると教えるなり。

この
当たり前の道理をよくと覚めて、
古きおとぎ話はおとぎ話として、
それを真実の如く申して論じるはやめよと言うなり。

太陽を脇において宗教を論じる者はみなゆえに、この天地宇宙の我等が主を忘れた愚かな姿と申すなり。

ゆえに太陽の正法はこの私において始めて正されゆくと知る事なり。

太陽を中心とする本来の宗教の姿と帰るに、全ては一とはなると知る事なり!

これを
分けているから、宗教に対立と争いの尽きぬと言うなり!

ゆえに全ては私の教えにこそ依りて、道を得よと言うなり!

そこにおいて一切神仏また悉く私に従いゆけと示すなり。

私は太陽の法を実と示すのであり、その釈と道においてこの天下の万道をまた従いゆくと知る事なり。

ゆえに全ては私を超える事はないのであるから、
私にこそ依りて従いゆけと教えるなり。

太陽なくしてこの地球天地なく、
この地球天地なくしてこの世界、
この全ての命またなきなり。

されば主は
これ太陽なり!

太陽なくして月氏の輝く事の非ずなり!

されば月輪に住して日月、明諦となす諸仏神々の主にして親はこれ太陽なり。

太陽なくして地涌千界の蓮華また一輪とて生ぜずして開かぬに、
その蓮性菩薩の命たる仏陀神々また太陽を主と仰ぐなり。

これを忘れて、
太陽を脇に論ずる妄こそ離れよと言うなり。

太陽大日遍照こそゆえにこの天地の主にして親とはここに証するなり。


太陽の法嗣

大日    天光子

合掌