『司法道に生きる者達よ!』
貴方達は人を裁く権力を得たのではない!
それを勘違いしてはならない。
裁判は、なにが命でなにが一番大切か!
それは真実であり、真実こそを第一原則としなければならない!
真実を忘れては成立しないからである。
決して不真実で人を裁いてはならない!
真実を明らかにしながら、その事実を知りそこにおいてその人を裁くか、裁かないかを決めねばならない!
警察官、
検察官は真実事実を無視して、人を罪に落とすような事は決してなしてはならない。
しかし、
それが果たして正しく行われているだろうか!
警察官や検察官は罪にきせる為に真実を無視している事はないだろうか!
よく考えて見る事である。
人を罪にきせる為にその権力を得たのではないのですよ!
無実の者をどんな事をしても罪にきせようとする!
そして自分達の成績をあげようとする!
それは大きな間違いである。
逆に弁護士は罪ある者とわかっていながら、その罪を無視して無実にしようと努力する!
それも大きな間違いである。
弁護士が真実を無視して罪ある者を守ろうとする!
これを正しく人を裁く裁判と言えるであろうか!
裁判は検察官と弁護士の勝ち負けを競う場ではないのだ!
しかし
現実にはそれが当たり前のように行われている!
そこには真実というものはなくなってゆくのである。
成績の為
名誉の為
金の為
このような裁判は真の裁判とは言えない!
権力の乱用である!
裁判の第一主義は真実であり、これを忘れての裁判は真の裁判とは言えないのである。
裁判官は
検察官
弁護士の意見を、どちらにも偏る事なく中道に立って、ただそこに真実事実を見極めて判断し正しく判じなければならない。
その上で判決を下さなければならない。
よいかな
裁くとは
その命
全人格そのものを裁くのではない!
裁くと言う文字をしっかりと見てみなさい!
裁の裁くとは
その命の衣であり、命そのものではない!
矛をもって命に生まれた罪という衣を裁つのである!
例えば鋏をもって罪という衣を裁ち切りその命を正しい命とつくり返すという意味を教えているのである!
命を木に例えれば、その幹それを根こそぎ倒すのではなく、そこに生じた愚かな罪という枝を切ってやり裁つのである。
それが真の裁くという意味である!
よいかな
『全ての人は法の下に平等である!』
全ての人から裁判官だけぬける事はないのです。
いかに権力を与えられ持ったとしても裁判官も同じ人間である!
神ではないのです。
人として人を裁き殺す権利などないのは当然の事です。
憲法で定めた平等原則に反している事すら理解できなくなっている!
それは真理真実が理解できていないからなのです。
裁くとは
その命そのものを裁くのではなくその罪という衣、枝を裁き絶たしめるのが真の裁判官の勤めなのである。
そこには
どんな罪人にも、慈悲をもって裁くという真実の裁判の姿があるのです!
真実を
正しく判じ
判じて判じた上で慈悲をもって裁くから、その道が正道となるのです。
地獄の閻魔大王もまた裁くになにか良い事をしていないかと調べて、救わんとして裁く姿を教えてもいるのです。
『人が
人を殺すのは罪、されば、その殺した人を人がまた殺すのも罪なのである』
神は戒の第一に汝殺すなかれと言います!
また九十九匹の迷わぬ羊を放っておいても、迷いた一匹の羊を救わんとして探しにゆくと教えているのです。
如何に人として権力を得たからと言って、人を裁き殺
す権利は誰にもないのです。
貴方達は神ではないのです。
検察官
弁護士
裁判官
よく真実を考えて知りなさい!
そこに生きて道を忘れ真実の勤めを忘れてはなりません!
裁判所の法廷で真ん中の座に裁判官があるのは、偏る事無く、中道にありて正しく判じ、真実事実をもって慈悲の心を忘れず裁く!
そこに真実の裁判は成立するのです。
ゆえに私は真実を第一として、その事実を明らかにしてゆく事こそが本当の裁判と言うのである。
全てに道あり
その道を覚めて生きる本来の生き方に帰りなさいと言うのである。
『警察官も、決して罪なき人を罪に落とすような事はしてはならない。その道をあやまてば貴方達の罪は大きな罪となり
やがてあやまつ事なく、その償いの道がその命の上、道に来るのであるから!
一時の見栄や点数成績、権力の乱用と誤ってはならない。
警察官になった時の初心を忘れてはならない。
貴方達自身の命の為に。
道はあるのであるから忘れてはならない!
世界はこの世だけではないのだから!』
太陽の法嗣
大日 天光子
合掌