『阿字を超えて一切は無し!』
阿字の大理を読めずしてこれを小乗教などと笑えば、一切の声字は滅して、全てがまた滅しゆくと知る事なり。
阿字
この一字広大無辺一切と読めずしてはまた仏の智見と至りた者とは言えないのであり、
阿字遍一切處と言えばゆえにこの世界の全てとこれを知る者です。
薩達磨(妙法)の
薩字もまた
阿字を親とし、
阿字に支えられて成立するを知る事が大切なのであり一切菩薩はゆえに阿字としての大日如来より生まれた命にして一の命とまた教え示すのである。
阿字をしてまた地大と示すのは阿字の一理の文証である。
これ古代より万宗に示される文証でもあり、阿は無にして有、因にしにして色一切とこれを教えるに、地大とこれを教え、
地大の阿ゆえに即一切なるに、
地涌千界の菩薩の命もまた地大の阿が預かっているとも示すのである。
地大無くして地涌千界も生まれないのであり、色と現じてあらわるも皆地大とこれを教えるのであり、
真理の一より生じた有、色としての世界はゆえにしてこれを地大の阿とは教えるのであり世界も、
命も、
声字も悉く真理の無としての阿より生じて色としての阿と生まれ一切になると知る事である。
太陽たる大日如来としての阿がその光源より光明と生じて一切と生みゆきた世界をまた
地大の阿と言い、全てが
阿字の世界、
大日如来の命の世界と教えるのであり、その普遍の阿が転じて文字言語の如く全てが生まれたのであるから全てをしてまた
大日如来の命のあらわれと教えるのである。
これは阿字一文字を説けば天下全ての法を超え、
また天上天下一切を一字の中に包めるのであり、
この阿字を離れたる世界無く、
命無く、
声字無く、
一切悉く成立せぬと知る事である。
如来大覚者なれば当たり前にこれを解し釈せると知る事である。
これの解せぬ者に真実の仏陀如来は存在せぬと知る事なり!
仏教甚深
よく理解して、
大日如来と阿字を決して軽んじてはならぬとここに示し教えるのである。
太陽の法嗣
大日 天光子
合掌