『宗教家よ、その世界よ!』
当たり前の事を当たり前の事としてできる事をやり、やった事も忘れてしまえるのは、それを当たり前の事と思うからです。
宗教家は、
そこに生き生かされる団体これが、社会、
世界の為に尽くすのは当たり前の事であり、むしろできる事をやらないで自分達の城や利益ばかりを追い求めている方がおかしいのです。
当たり前に行い、当たり前に進んでいる事を神仏は常に見つめておられるのです。
なにも飾り立てて自慢する程の事はなにもないと言う事です!
その世界のできる事の万分の一も実はやっていないのですから。
多くの苦しむ人々を知り、その人々の事を訴え論じるその人達が御殿のような建物を次々と建てて、自分達の利益となる世界ばかりを作っている事は、飢え苦しむ人々の隣で大御殿に暮らしてキラキラと身を飾り立てて、贅沢三昧の食事を並べてあれが嫌い、これが嫌いと言っているのと同じだと言うのです。
今、死ぬ人々が沢山いると叫び訴えながら、自分達は御殿を沢山建ててのうのうと着飾っている!
その宗教家とその団体とは一体なんなのであろうか!
虚言をもって衆生を騙し搾取する者達と言われても当たり前である!
その者達は自らの虚言の為に地獄の門を確実に開いてゆくのであるから。
千億の金を生み出している者達が一億の金をもって大善行をしているように大々的に飾り立て自慢の花を咲かせる!
その人々の腹の中にはこれを元手に更に搾取しようと言う魔が住して人々を常に狙っている!
ゆえに自慢と飾り立てる事に多くを費やす人を見たら気をつけるべしと教えるのです。
宗教の中に生き生かされる団体、人々よ!
あなた方は隣に死にそうな人々があっても、
あなた方の家、
御殿を建てて必要以上に飾り立て増やすだろうか!
それはみな次の利益を考えるからなされるのです!
さればその団体はもはや事業、
虚業の団体であり神仏の住する世界では無いと言えるのです。
人はゆえにあるべき本来の相をこそよく見つめて生きる事が大切であると教えるのです。
人物と証される人々は皆、
世界と人の世と人の為に役立つ事をなしてもそれを当たり前に考えている人々なのです!
当たり前と思うからこそその人々にはそれ以上の事ができるようになるのであり、道が開いてゆくのです。
人は本来皆、
できる事、
当たり前の事をやって生きてこそ普通なのです!
そう思える人々こそ静かに常に道を生きれる人々なのです!
一切は皆ただ一つ道を目指している!
人はゆえに
一切が皆自らの
人格完成、
人間形成のみの為に存在している事こそ気づかなくてはならないのです。
それが
生命の道であり、命に与えられた命の生きる道なのであり、真理への道なのであるから。
人々よ、
早くなんの為に生まれたのかを考え道をこそ知り生きる事です。
(なんの意味無く生まれ来て、意味無く死んでゆくのでは無いのだよ!
全てには道があります!
その命も道を生きて死に、道と生まれゆくのです!
ゆえに道をこそ早く覚め、命を輝かし成長させなさい。
道無き道は無いのですから!)
太陽の法嗣
大日 天光子
合掌