処々に応じて一なり! | 太陽王法の会


『処々に応じて一なり!』


宗教の
教えにおいても
その時と、
場所と、
環境に応じて説くのは当然なり。

山の民に
海の生き方、
海の教えを説いて
その暮らしかたを示しても意味はなく、
海の民に
山の生き方、
その暮らし方を説いて教えても意味はなく、
それぞれに応じて説くゆえに、
そこにおいてその教えに違いが生じても、おかしな事にあらずなり。

宗教も、
国に応じ、
その環境に応じ、時代、
状況に応じ、
人の機根、
生活に応じて説きゆく事も当然なり!


ゆえに砂漠の民の宗教と森の民の宗教と教えが違っていても当然なり。

しかるに、
人間根本に立つ教えは共にひとつにして、至るところの真理もひとつとなるなり。

すなわち、
この宇宙の太陽はひとつとこれを示すなり。

その太陽真理と至りて宗教はその国、
場所、
時、
環境、
人の機根、
生活にあわせてそこに生むと知る事なり。

しかるに、
その至りゆく道においては全て、
一とかえると知る事なり。

これすなわち、
真理という一山と例えれば、
その山を各各の門より登りゆくのと同じなり。

その一方が例えば砂漠の国であり、その一方が森林の国であっても、
その頂は一なり。

ゆえにその宗教を互えて争いゆく事こそが愚かな事なり。

人間根本に立つところの教えは共にひとつであり、
めざすところの真理も、ひとつなのであるから、このひとつを解せず、認められないならば、その宗教を一神教とは言わぬなり。

その一と言う真実こそゆえに正と知れと言うなり。


太陽の法嗣

大日    天光子

合掌