全ては修行者!1 | 太陽王法の会


『全ては修行者!1』


世間には四種の
修行者があり、
第五の者は無い!


その四種の
修行者を

①道による勝者

②道を説く者

③道において生活する者

④道を汚す者と、

仏陀が示し教えるなり。

この釈迦仏の説くところの教えを
我またここにあかせば、この四種の修行者とは、
この世界の衆生全ての相と示すなり。

ゆえに
この四種の修行者の教えに全てを写して見よ!

例えば
真理道理に反して
悪道悪業と住す者を道を汚す者と示すなり。

されば、
これを受けて
なにゆえ、
この者達を修行者と言うかの疑問がおこるなり。

よいかな、
全ての命は
みな道に生まれ、道に生かされ、
道に生きて、
道にあると知る事なり。

人には
人の道があり、
命そのものの道があるなり!

人が生きる事そのままが道であり、そこにおいて人はみな本来命を命として生み育てて
生み完成するために生きるに
全てがその人生、生きると言う道においての修行者なのである。

命を生きている事そのままが修行の諦と知る事なり。

人の世の全ての中に道をおさめて、処々天道といたらしめんとなすは、真理の妙これなり。


例えば、
芸術家には
芸術家の道があり
音楽家には
音楽家の道があり
職人には
職人の道があり
農業家には
農業家の道があり
全ての職の中にも
人としての道があるなり。

しかるに、
夫には夫の道、
妻には妻の道、
親には親の道、
子には子の道!

教育には
教育の道、
政治には
政治の道、
全ての営み、
全ての暮らし、
全ての中に道のなきことはあらずなり。

人が命を生きる事!

すなわち、
命の道を修し生きる事なりて、
命はかくとなると知る事なり。

しかるに、
その生命の営みにおいて道を見よと言うなり。

真実道理に反して悪道悪業と生きれば命の本来の道に反してその因果に罰せられるに
(因果応報)そこにおいても、
道のなるとは言うなり。

すなわち、
真理、
道理、
命の命たる道を
忘れて、
それを汚して
生きる者は、
自らを害い、
他を害い、
迷苦に住して
因果の報いと受けるに、そのまま道の姿と言うなり。

この迷苦無知無明にして悪道と生きて生きる者を、
道を汚す者と言うなり。

それとは逆に、
よく善を知り、
善を行い、
道理を見て正しく生きる者、
真理の教えを
よく聞き、
よく修して、
その教えに
そって生き、
命を命として
生きる者を、
道によって生きる者と言うなり。

全ての処においてよく道を見て、
道を聞いて道を明らかに知り、
最高のものを
最高と知り、
道理を道理と知りてその法を説き、判別する人を、
よく道を説く者と言うなり。

真理の教えを自らのものとして、
よく自他一命と
なして説きゆく人こそ、これと言うなり。

更に深く示せば、そこに存在し、
そこにあるだけで
これをなす人達もあるに、それを明らかに見て釈説できる人もまた、
これと言うなり。

しかるに真理を
成道体得して、
疑いを超え、
苦悩を離れ、
安らぎを楽しみ、貪る執念を持たず
最高の智慧と、
真理の道を明らかに見て自らを制し
他を制し、
人天共に
導ける人をして、真実の道の勝者と言うなり。

すなわち、
仏陀、
大聖、
大覚者、
神人、
成道者、
一切智者、
無上等覚者、
等々みな、
真理と至りて道と修して大悟した者こそを道による勝者と言うなり。

全ての人はみな、この四つの修行者に入ると知る事なり!

この四種はみな、その一人一人の命にひとつなるに、命こそ早く覚めよと言うなり。

仏陀は、
深くはこの真実と促してこの教えを
道を修行する者達にむけて分別して説きゆくも、
本来は全ての者にそのままあてはまる命の体と知る事なり。

一身一命そのまま道と修する道場体と覚めて命こそ、実と生きよと教えるなり。

この世は菩提道場と覚めて早く真実の教えと聞けと言うなり。

一切はすなわち、命の修行者なると知る事なり。


太陽の法嗣

大日    天光子

合掌