法律の本義!1 | 太陽王法の会


『法律の本義!1』



法律は人を

導き、

守り、

生かし、

救うためのみにあり復讐的報復の

裁きや、

罰のためにあるのではない。


法とは

智をもって身と結ぶ事なりて、

水は智をあらわし去は、

地と結ぶをあらわすのであり、

水をもって

地一切とゆきわたらして全てを生かすゆえに法と言う!


また一方で

その水をもって、汚れ、

悪垢を洗い流して払い清める働きをなすにこれを法と言うなり。


すなわち、

人の命に即すると土すなわち、

肉体を示し、

その命と

生かしめ、

その命と洗い清めるをして法と言うなり。


法とはこの道と命の理に即して、

生まれるのであり罪と罰はこの悪垢の払いであり、

清めであり、

戒めであり、

命の導きにして、救いとなるを知る事なり。


すなわち、

ここにおいて命を命として守っているのであり、

正しく帰し、

救うためにこそ、それはなるのである。


そしてまた、

その法あるに、

命を守り、

道を守り、

人を守り、

国を守り、

正道へと導き、

正しく生かしめゆくと知る事なり。


法とはこのように本義と示せば、

ただ

全てを守るため、正しく導くため、生かし、

救うために、

そこに生むとは知る事なり。


このように

その命を道と正しくそろえて、

調え生かしめ、

ゆかしめるをして律と、

調えゆくと知る事なり。


律とは、

正しくそろえて行わしめる!


命の道と行かしめるを示するに、

それをして、

人間の行いをきちんと秩序だてた決りを示すなり。


音律と

示すように、

律はきちんとそろえる事なりて、

正しい命と生き、生かしめ、

行い、

行わしめるために生みゆきた道の教えなのである。


すなわち、

律する事で

人を守り、

命を守り、

命を正しく導き、正しく生かしめ、正しく行わしめて生かす道と知る事なり。


このように、

法律とは、

本来人と国と世界を正しく導くためにあるのであり、行わしめるためにあるのであり、

正しく救うためにこそ本義、

道があるなり。


ゆえに、

復讐的行為のかわりをつとめるわけでもなく、

報復的裁きのためにあるのでもないのである。


全てが

救いと導きと、

守りのためにあるがゆえに、

それは成立するのである。


それでなくして

なにゆえ、

人が人を裁く権利があると申すなり。


例えば、

殺した罪に対して殺して報いれば、その殺した罪はどこへゆくなり。


なんの

権限をもって、

人を殺す権利を同じ人に与えるなり。


すなわちそれは、盗む者に、

盗みをもって報いると同じなるに、道に反するは当然である。


害に対して、

害をもって報いる正義など、

どこにもあらずなり。



太陽の法嗣


大日    天光子


合掌