『行為によって!』
人は生まれによって汚れた人となるのではない。
その行為によって汚れた人となるのである。
人は生まれによって賎しい人となるのではない。
その行為によって賎しい人となるのである。
人は生まれによって悪い人となるのではない。
その行為によって悪い人となるのである。
人は生まれによって惨めな人となるのではない。
その行為によって惨めな人となるのである。
人は生まれによって尊い人となるのではない。
その行為によって尊い人となるのである。
人は生まれによって正しい人となるのではない。
その行為によって正しい人となるのである。
人は全てその生まれによって差別されるものではない。
その行為によって差別されるのである。
ゆえに人はみな本来平等であると正しく認識してその行為こそ正しくなす事である。
それには、真理、道理の教えこそよく聞いて命とする事こそ、第一の大切と知る事なり。
人はその職業、その地位によって尊いのではない。
その行為によってこそ尊いものとなれるのである。
その職業、地位を得たからといって自分を見失ってはならない。
その行為が、真理に反し、道理に反し、真実に反するならば、その人は、ひとつも尊い人ではないのであるから。
一国の首相とて大臣とて、大統領とて、たとえばまた、検察官、裁判官であるといえども、その地位において尊いのではない。
その行為によって人は全て尊くなるのである。
そこにおいてあやまつ道をおこなえば、賎しい人となるのであり、汚れた人となるのであり、悪い人となるのであり、誤まちた人となるのである。
人は生まれによって大切にされるのではない。
その行為によって大切にされるのである。
人は地位によって大切にされるのではなく、その行為によって大切にされるのであると知るべきである。
人はその生まれ、その地位によって敬われるのではない。
その人の行う行為によって敬われるのである。
その生まれや、地位によって当然敬われるべきであると知るべきである。
慢じる者はゆえにこれを無知なる者と言うのである。
人は、その生まれ、その地位によって尊ばれるものではない。
その人の行う行為によって尊ばれる者となるのである。
それを、その生まれや、地位によって当然の如く尊ばれなくてはならない!
尊ばれるべきものであると慢じる者は、道理を知らない無知者と言うのである。
人は、よきところと生まれ、よき地位を得たならば、そこにおいてその行為こそ大切にせねばならない。
自分は、この生まれ、この地位によって尊ばれ、敬まわれ、大切にされるべきではなく、その行う行為によって尊ばれ、敬われ、大切にされるべきであると自らでよく知り、全てに対して慢じることなく、思いやりと、尊びをもって生きる事である。
されば、そこにおいて尊ばれ、敬われ、大切にされるにふさわしき人となれるのである。
全ての人は平等である。
全ての人は、その行為によって善き人と、悪い人とに分けられるのである。
その善き人も、悪い人も平等に包めるのが、覚めた人と言うのである。
その差別を離れて、全てはその行為こそ大事にして生きなさい。
太陽の法嗣
大日 天光子
合掌