蓮華経の本尊!7 | 太陽王法の会


『蓮華経の本尊!7』


法華経
(妙法蓮華経)は、大乗一乗(一仏乗)
開示の経典と言うなり。

大日経
(阿毘羅吽欠)は、大乗一乗(一仏乗)
究竟の経と言うなり。

法華経の
究竟はゆえに、
毘盧遮那遍一切處なり。

大日経とはその、毘盧遮那一切経なり。

法身真理と一如となして一と至るはこの道にして、
至るところはひとつの座とは知る事なり。   

摩訶毘盧遮那
(大日如来)法身胎蔵に包まれて一なる命と覚めるのが
題目、妙法蓮華経なり。

毘盧遮那成身なして究竟となしたのが、大日真言、
阿毘羅吽欠これなり。

すなわち、
一滴の水、
大海と入りて一如を知るのが、
題目としての妙法蓮華経これなりと
自ら大海と生まれたのが阿毘羅吽欠(大日如来)これなり。

この大海とは
すなわち、
一切薩般若海にして、如来蔵世界これなり。

万水大海に一と知りて覚めて、
一と至る!

すなわち自ら大海
一切薩般若(大日如来)と生まれるのが、その即身成仏の諦これなり。   

妙法の
妙とは妙にして、美しい事なり。

そはひとつになる事これなり。

ひとつになるとは
日月の一如となる事これなり。

日と蓮華の一となる事これなり。

真理法身
大日如来の法性、大摩尼たる日輪と自らの蓮華仏性を一となして、
よく開き、
よく咲かせるゆえにこれを妙と言うなり。

命そこにおいて、よく輝きて一と生まれるがゆえなり。

真理法身如来の
宇宙と、
自己の小宇宙を
入我我入して、
一となす事にして
一と至る事が即身成仏の法諦これなり。

法華経はその一乗開示の経これなり。

大日経はその一乗究竟の経これなり。

ゆえに
阿毘羅吽欠(大日如来・一切薩般若)を光となして、
よくその命と映して生まれるを、
南無妙法蓮華経と教えるなり。

すなわち、
太陽主たる
大日如来と一如となして、蓮華を咲かせる教えこそ、妙法蓮華の教と言うなり。

これをして、
入我我入と言い、三密加持と言い、境地冥合と言い、梵我一如と言い、神人合一と言い、一神一如即身成仏義と言うなり。   

一切薩般若海とは法身、大日如来の胎蔵なり。

南無妙法蓮華経と申するに自然の内にその海と入るなり。

そこと覚し悟りて
大いなる命と顕したのが、
毘盧遮那遍一切處これなり。

釈迦牟尼仏
(法華経を説く)をしてこれと名づけたてまつると、
空中の聲のしめすのはこのゆえなると知る事なり。

一乗一義諦の真実はこのゆえになると知る事なり。

一乗一義諦の真実はこのゆえになるとは知る事なり。   

大乗仏教は一神教これなり。

ゆえに一乗大乗と言うなり。

その成仏成身ゆえにしてその者を神中の神とも、
超神とも言うなり。

真理としての
神(法身)一如と至るがゆえなり。   

真理法身に一と乗って覚め悟りて、一と乗せる命と生まれるに入我我入と言い、
即身成仏と言い、真の一乗一義諦と言うなり。

一神教の真諦はまたこれなり。

「妙法とは太陽とひとつに修し、
その神秘真実を悟り、実体験する事なり。
その修行において自らの仏性、
蓮華を開いて智慧を獲得し、
自らが経(教)を説く命と生まれる事をして南無妙法蓮華経と言うなり。すなわち妙法によって蓮華仏性を開いて悟りの智慧を広大と得て、経を説く命と生まれる事を言うなり。
日蓮の名に
日、太陽とひとつの蓮華を名づけたのは法とひとつにして教えているのである。

太陽大日如来が
本尊と教えるのは真実の道のためなり。


太陽の法嗣

大日    天光子

合掌