『古代の宗教観の誤ち・太陽と地球と月!』
この地球天地は太陽の小さな惑星なり。
その地球天地の衛星が月これなり。
月と示せば、
半径は千七百三八キロメートル!
質量は地球の約八一分の一なり。
太陽に対する位置の関係によって
新月・
上弦・
満月・
下弦の位相現象を生ずる。(広辞苑)
地球は太陽系の一惑星!
形はほぼ回転楕円体で、赤道半径は六千三七八キロメートル、
極半径は六千三百五七キロメートル!
太陽からの距離は平均一億四千九百六十万キロメートルである。(広辞苑)
太陽は太陽系の中心をなす天体で、恒星の一、太陽系の質量の約九九・八パ一セントを占め中心における原子核反応で発光する。
地球からの距離は一億五千万キロメートル!
半径は地球の百九倍、表面は六千度に相当する光を放つ。(広辞苑)
すなわち、
明らかなように太陽が中心にして、地球はその太陽の小さな惑星のひとつなり。
月はその地球の衛星なりて、太陽と月をくらべて論じる宗教も愚かにして誤ちなり。
この地球を広大なる地と考えて、日月を双子の星の如く示したり、
この地球をめぐる小さな小さな星の如く考えたり、示しているところの古代の宗教観はみな明らかな誤ちなり。
仏教の仏すなわち釈迦仏においてもその宇宙観は地を中心にして誤ちなり。
イエスキリストの聖書においてもまたこれも誤ちなり。
天照大神の神道においての天地観もまた誤ちなり。
古代
ギリシャ教も、
ユダヤ教も、
ヒンドゥ教も、
イスラ一ムも、
みな古き宗教においてはこれ誤ちなり。
すなわち全ては太陽中心にして成立するのであり、
そこにおいてのみ全てが一つになり、正しこくかえると知る事なり。
これをわかった今においても、古代の宗教宇宙観、
天地観をもって宗教を論じるのはこれおかしな事と知る事なり。
それをして宗教の優劣を語る事もまた意味無き事と知る事なり。
全ての世界が太陽中心にして成立するように、全ての宗教も太陽を主として、成立すると知る事なり。
この世界は太陽の世界なりて、
全ての宗教も、
一つの太陽、
そこにおいて一と帰ると示すなり。
ゆえに古き宗教においてのこの宗教観は誤ちゆえに今はそれを捨てて正す事こそが大切なると言うなり。
それを解せず、いつまでも古き誤ちをひきずりて争うならば、それこそ愚かの上の愚かなり。
人はこの当たり前に気づいて、太陽の法の偉大真実こそ早く覚めと教えるなり。
ただそこにおいてのみ、全ては正しくなると知る事なり。
太陽の法嗣
大日 天光子
合掌