『虚仮無常に迷うな!』
その命に青空と、その青空を輝かす不動の太陽を持っているかが大切なのである。
その青空と
太陽を忘れて、
虚仮無常、
空なる雲をして、上だ下だ、
正だ邪だ、
尊いだ卑しいだ、汚れだ清らかだ、美しいの醜いだの善だの悪だのと常に対立しているから悲れなのである。
そんな無常の雲の形世界にばかりこだわりて争い、
迷い、
苦しみ、
苦しめあい、
生きているから愚かなのである。
虚仮の形では無い!
虚仮の相でも無い!
そんな常に無い空なるもの仮のものにこだわり、執着しているからおかしいのである。
命の価値はそんなものではなく、
その魂の奥、
精神、
心になにをもっているかである。
青空と太陽、
動かざる大いなる心を持っているならば、その虚仮の姿形などなんの意味もない一瞬の雲である。
その雲ばかりとらえて右だ左だと論じ迷いているほうがおかしいのである。
その者達には、
その者の持っている青空と太陽が見えないのであるから、自分の持つそれも見えず生む事もできないのである。
ゆえに悲れにして道の見えない愚か者と言うのである。
私は青空と太陽を広大にして不動と精神に持つ者である。
私の虚仮にして仮なる姿形を論じて語る者のあれば、命と道の見えない悲れにしてかわいそうな人と名ずけるのである。
その一瞬の姿形は無常にして、本体の私からすれば、泡のようなものなのであるから。
太陽の法嗣
大日 天光子
オ一ン・アビラウンケン
オ一ン・アビラウンケン
合掌