冬(死)は春(生)の為にこそ有る! | 太陽王法の会


『冬(死)は春(生)の為にこそ有る!』



冬を離れて春は存在しない!


冬あるゆえにこそ春の彼岸これのあるなり。


穢土即浄土、

此岸即彼岸!


そこに一と示すのである。   


冬を死と例えるならば生はこれ春なり!


されば知れ、春と生む冬ありても、春と滅する冬の無き事を。


冬(死)はゆえに、ただ春と生むが為にこそあればなり。


死はただその生の為のみにあるなり。


それはあたかも、冬が春を育て生む為にあるが如きなり。


されば人々よ、

冬と向かうにその春の芽と育てるを忘れるな!


その冬(死)の為にその命を育てよ!


その春(生)の為にこそその命を育てよ!


冬(死)はただ、春と生む為にこそあればなり。  


死と再生は、

冬の春を生むが如しなり!


冬はただ春を生む為にあるゆえなり!


死は、生を生として生かし、そしてまた生む為にあればなり。


死とは、その生を生として生かして、よく生む為にこそあるなり。


されば死は、その命を生む為の道にして、生まれる為の道これなり。


死とは生まれる事であると、命に知れと示すなり。 


その厳冬も過ぎれば必ず春と立つなり!


この春と立つ命、立てる命を、忘れてならない!


あなた達はそこにおいて真の命を得ると教えるなり。   


意味なく、

ただ枯れる為にあるならば、花は花と咲かせる必要は無いであろう。


意味なく、ただ死ぬる為にあるならば、命を命として生きる必要も、

その価値もまた無いであろう。


咲かせるという目的、その命を完成する為にこそ、枯れるというものがおかれるのである。


その命を命として生き、生かしめ、生み完成する為にこそ、死もまたそこにおかれるのである。


死は真実の命と完成して生まれる為に、生まれゆく為にこそ、あるとこれを教えるなり。


されば死とは生まれる事であるという仏陀の言葉をこそ、決して忘れてならぬと教えるなり。



太陽の法嗣


大日    天光子


合掌