神秘世界の導き!2 | 太陽王法の会


『神秘世界の導き! 2』


一切空の心も、
忍辱の心も、
慈悲大愛の心も、その中で知るのであり、その修業にてよくまた一切智を開いて、悟りを得てゆくのである。

学無くして愚昧、道無くして悪人、無知盲迷の見本のような私、仏法仏教に縁無くしてなにも知らない者にして、一経も読んだ事の無い私!

神、仏に縁無くして悪道極道三昧にありた私が、この正法真理と至りたゆえに無上の智慧と至りゆけたのである。

その事実こそが、その証明であるとゆえに私はそれを書き残して示すのである。

如来はまた一如を示するに、右回りとなして私と一如となるを示して、私はまた自ら神仏の側の命と生まれるを真と覚めて更に深く智智の修業に入ったのである。

全くの三昧の時はこうして成ったのである。

その時の私は、大日如来の応身、化身となりて、自らが大日如来として暮らしたのであり、そのゆえに自ら説く身と生まれたのである。

この正法こそ偉大にして、道は真実とありて、神秘広大と開くに、これこそ大悟開見の法、真の成道、成仏の法と示すのである。

人は皆その命の内にその道の扉を持っているに正法と修してよくそこと入り、そこと開いて、不退転と進み行けと言うのである。

そこにおいての大切の心が、禅定に入る心構えと示す仏の教え、慈悲の心、忍辱の心、
一切を空と知る心なのである。

法中神秘になにがおころうと、三昧と入りて迷せず、怖れず、仏の悟りへの道と信じ、
しっかりと進む事
が大切であり、その法中においての心、一切にむこうての慈悲の心
「如来の室」
「忍辱の心」
「如来の衣」
一切を空と知り見る心
「如来の座」
を忘れずに持って全てに対せと教えるのである。

たとえ天衆天魔、衆軍となして下ろうとも、この三つの心をわすれてはならないと教えるのである。

人は皆この命の庫庫と開いて命の偉大なる真実を知り、自己を高めて完成し、真理へと生まれゆけと言うのである。

私の示せし正法と一切教をよく見て知り、心となし生き、修し至れと言うのである。

これみな
真理神仏の智見、悟りへと至らしめる道にして、
間完成の道ゆえに私は広くこれを与えるのである。

ゆえに
「ノウマクサンマンダボタナム・アビラウンケン」

「オン・アビラウンケン」

光明真言、この大法正法こそ修してよく唱え、禅定と入り、実とその命で至れと教えるのである。

この神秘真実は実にしてその一人一人の命の庫より虚空と至り、一命に広大と広がりゆくと知る事であり、開眼もそこにおいて実と成ると知る事である。

「開け開け真理命の内なる庫を、開け開け真実の悟り開眼を目指して、私はそこにおいて万教と開き書き残しているのであるから。」

「ちなみに、
私が始めに出合い祈り唱えたのは、虚空蔵求聞持の法である!」

ただ一心に祈り唱えて智慧への道を開き、得たのである。


太陽の法嗣

大日天光子

合掌