『愛と申せば!』
愛と申せば愛一切と説くのが如来なり。
法と申せば法一切と説くのが如来なり。
宗と申せば宗一切と説くのが如来なり。
仏と申せば仏一切と説き、神と申せば神一切と説くのが如来なり。
しからば
念仏と申せば念仏一切と説くのが如来にして題目と申せば題目一切と説き、真言と申せば真言一切と説き、禅と申せば禅一切と説くのが如来なり。
顕教と示そうが、密教と示そうが、みなみな一切と説くのが如来仏陀の智見ともうするなり。
キリスト教、
イスラ一ム、
ヒンズー教、
ユダヤ教、
神道等々と示してもまた一々一切と説くのが如来の智慧これなり。
如来はみな
一即全・全即一を説き、
一相・
一味・
一法・
一道・
一実を説きて大と示すと知る事なり。
それゆえに如来を第一義諦の命と言い大いなる真理、一神一如の命と言うなり。
これを知らずして真の如来仏陀とは言えず、大いなる神、一神とも申せぬなり。
風と説きて風を説くのが如来なり。
木と説きて木を説くのが如来なり。
花と説きて花を説くのが如来なり。
すなわち一切を即我一如と示するなり。
一切は我が有なり、これを知らねば、如来仏陀とは申せぬなり。
万字と観ずるに悉く皆、一義広大と帰せしめるに如来の妙智と言うなり。
これとゆくは如来の無尽の道にして、如来はまた是くの如くに常と修し生きると知る事なり。
一字明広大と説きて一切なり。
一切となすゆえに本義第一義諦となると知る事なり。
みな真理「大いなる命」たる一より生まれるに、一と帰すると知る事なり。
一無くして二これの生まれず!
二無くして、三、四、五、万教悉くこれの生まれず!
みな一り生まれるに、そこに生じなるとは知る事なり。
されば全て一と帰るは全てのめざす大いなる道と知る事なり。
仏陀は空の一字と読みて一切空とこれを読むなり!
さればそのままにまた、一切仮とは読み、仮空一如なるに一切また中諦と読み、三諦「仮・空・中諦」一如と読むなり、空の一に諸法実相の全てを読むと教えるなり。
太陽の法嗣
大日天光子
合掌