『真実の道は全てひとつにある!』
特定の者、
特別の者しか至れないのであるならば、私はそれを道とは言わない。
全ての者が歩けて、全ての者がゆける道こそが真の道だからである。
全ての者を乗せえない道をなにゆえ道と言えるであろうか。
全てにゆきわたっていなくして、それを道とは言えるであろうか。
ゆえに、特定の者、特別の者のみしか至れないのであるならば、私はそれを真実の道とも、完成された道とも言わないのである。
仏道においても、神道においても、全ての宗道においても、これは同じである。
道とは本来全てに行き渡り、全てに存在し、全てとひとつにあるものなのであるから。
ゆえに私は全てに道を示してそこに道徳的理念を与えて、正しくひとつのところへ全てを帰しうる教えこそ、道の中の道にして真実の道と言うのである。
特別、
特定の道のみをして道と言うのではない。
道は全てに満ちているのであるから、真の道は全てに充ち満ちて一と輝いているのであるから。
一切とひとつにあって全てをそこに乗せている!
それをこそ真の道と言うのである。
ゆえに真の道においては、仏道だ、神道だと分ける事も無く、ああだ、
こうだと分ける事も無いのである。
一切とひとつにあって全てを乗せている。
全てをひとつに乗せてひとつに生かし、ひとつに営まし、ひとつに至らしめる。
それをこそ真の道と言うのである。
私の道においては、ゆえにただ一道が遍満して全てとひとつに輝いていると教えるなり。
太陽の法嗣
大日天光子
合掌