『一義諦の心!』
私の持つ心は仏陀の持つ心であり、仏陀の持つ心は私の持つ心である。
私の持つ心は神の持つ心であり、
神の持つ心は私の持つ心である。
その私の持つ心はゆえに全ての持つ心である。
私の持つ心は全ての持つ心であり、全ての持つ心は私の持つ心である。
全ての持つ心は私の持つ心に他ならない!
この心で私は毘廬遮那遍一切處の命と呼ばれる者と生まれたのである。
仏陀が真、
第一義諦の命と言うなら、仏陀は全ての闇であり、全ての光である。
ゆえに全ての闇、悪、迷者を見て、それを卑下し、
捨てる事はないのである。
その命は全て、
また自らより生まれた者と知るゆえに、全てを光と帰さんと、愛と慈悲の心を生むのである。
仏陀は全ての闇である!
仏陀は全ての光である。
その闇も光も全てが、自らの命であり、命より生まれたものである。
その命を知らずして大いなる神、真理と至りた第一義諦の仏陀と誰が言えようか!
仏陀が人の数千倍の光と生まれるのは、その全ての闇をこそ光と取り戻して自らの命を一の命と取り戻したいが為である!
人にはこの大いなる命が理解できないのである。
太陽の法嗣
大日天光子
合掌