道の悟りの世界の真実! | 太陽王法の会

『道の悟りの世界の真実!』  


獄中に拘束されてその大苦の中に真理これを開き万教一文これを世と人々の為に説いて説いたのである。

その独房二坪弱の空間を道場として天地一命の境と生まれて私はかくとなしてその真実を証明せんとなしたのである。

しかるにその教文釈において、すでに天下一切の教これを悉く超えゆく事も事実であり、そはその文証において証明する事もできるのである。

いかにこの私を超えて、真実大法を広大無尽と説く者がこの天下にあると言えるなり!

万教教文と開きたとしてもそれは無いと知る事である。

しかるにこの万教とて私にとっては、道に促しては、今だ序曲にすぎぬに、私のめざす道より見れば、まだ入り口にすぎずして私のめざすところは天下第一の智慧者にして、そこよりまた更にめざして天上天下第一の智慧者への道があり、その上に自らの命に真なる神力大力これを極め得て、自らのものとせずしては、なにもならないとも示すのである。

これ神通力、
すなわち神と通じる力にあらずして、
神力を自身の命と体得なして自らのものとせずしては、真実の神にはなれぬに、智力、神力を真実と自らの命に得て真実自在の神と生まれて、その上でいかなる者とて救える自由自在を真実と得ずしては、めざす道はならないと示すのである。

更に示せば、神力大力、智力大力共に成して天上天下に轟く者と生じ得たならば、太陽の父になろうと宇宙の主とめざすのであり、末に一宇宙の主となりて至るまで私の道は尽きずして無限とこれを示すのである。

一道そこと歩みて億千万年生きようと、すでに迷する事なく道と定め、道と見つけてそこと歩むに、百年、千年などは無きに等しいと言うのである。

人々よ、
真、宇宙真理と入りて大いなる命と生まれ生きようとめざすならば、かくとゆけと言うのである。

太陽の主にして父は神秘広大の大法、
摩訶不思議と示して私を導き教えて、そこにおいてかくと言いたのである。

「この世界はお前の世界なるに、よくと修して、仏となって帰って来い!神と生まれて上がって来い!最高天へ帰って来い!そこにこそ真実のお前の世界があるに、道と定めて帰って来い!」
と、私はゆえに常に太陽一如と暮らしてそこに道を見るのであり、太陽真理の世界は、
諸仏、神々、天人菩薩、天使、大魔王、悪魔、魔女、天衆、鬼神、聖霊、神仙、神霊、祖霊、大聖、聖僧、僧侶、神官、大衆、動物、自然、花花、時の法、天駆ける船の法、禅法、首の法世界、地獄、畜生、餓鬼、修羅、人、天界、あらゆる神秘世界を法中に現じて、私を導き鍛えたのである。

私はそこにおいて、見せられ聞かされ、言葉をして常と語り語られながら、日々法中に三昧と暮らしたのである。

これ人の肉眼に見えず、人の耳に聞くもかなわずして、ただ私の命の上に示され続けるものにして、これを言葉で話し教えても人には理解なせずして、信じ難く、証明できぬに、難信難解の真実と言うのである。

ゆえに私はその証として、獄舎独房にて一人暮らして、その自由なき世界、なにも無き世界において一人壁と対して坐し、小机にむかいて、宗教真理、仏法大理、道徳経、心の一言一言、真実道理の教文等々、無上の教理哲理を万教と書き示して、その真実を証さんとなしたのである。

私は無学にして、凡愚中の凡愚にして、過去は悪道迷道の真っ只中で暮らしたる大愚大無知者なるも、この無実大苦の獄と落ちて、それを因縁として、自らの人生、自らの生命と目覚め、道と目覚め、大法と出会いそれを修して祈り暮らして、真実の道、悟りの世界真理の扉を開いたのである。

太陽真理、主の大愛と示する大いなる導きの世界は人間の計らい、思い、考えなどはるかに超えるのであり、言葉で申して理解できるものでもないのである。

私はそこにおいて、真実の私と目覚めて、大いなる命に一つの私と帰りて、真理を教え示す命と生まれたのであり、その私のめざす道はゆえに広大にして無尽と示すのである。

私の示す一切教これをして、天下一切の宗教を悉く超えようと、道においては今だ序曲とこれを示すのである。

全ての人々よ、
真実の命の道
「宗教」とはかくの如く偉大にして尊きものなるに、早くその尊い自分の命に目覚めて実と知れと言うのである。

大いなる神秘は実と、その一人一人の生命の内にこそ一と秘めるのであり、そこにおいて偉大なるドラマが展開すると知る事である。

天地一命と冥合なして、時に大風を吹かせ、雷音を轟かし、自然 を動かし使って道と示すも、天空に広大なる世界を現じて展開させてドラマとなしてそこに一と修せしめるも、
みな事実であり、
天駆ける船には、
観音、大聖人達が共に乗りて現じ、その船に乗せられて法と修せしめられるも、その身の内に魔王と入れられて、禅定と修せしめられるも、動物達にその身を食らわして慈悲の修と行じせしめられるも、時の王の現じて競わしめられるも、
魔王、天衆の無量と来たりて法と競わしめられるも、数限りない神秘世界でのドラマが自ら参入せしめられて展開するに、それこそが修法の真実なると教えるのである。

自然界を動かされ、見せられ、この世の滅びを見せられてあわてふたむき、迷い、そして現実に気ずかされて、パチンと目のウロコを落として開眼のすばらしき歓喜を体験させられるも、その歓びを天が祝いて涙の雨を共にしてくれるも、
頭頂に香油を注がれ香華とふり注がれるも、天に祝祭を見せられるも、無量の仏達の現じるも、神々、聖霊の現じ来るも、全てこれ、修法修道の事実にして、悟りの世界、その成道三昧の事実なのであり、そこにおいて命をきよめられ、戒められ、正され、鍛えられ、磨き磨かれ、智慧を段々に完成して大いなる一の智見を極めゆく事になるのである。

太陽主は常に共にありて内と輝き輝かしめ、光を注ぎ、法をふらしてくれるのである。

聖霊達は常に一と暮らして離れる事なくこの命を守り、語り暮らすのである。

それが真実の命の門を開く事であり、パンドラの箱、不思議の国のアリス、青い鳥、西遊記、そしてあらゆる神話と聖典の神秘、仏典の神秘とドラマ、みなこの世界に展開した、悟りの世界の物語なのである。

人間形成、真理悟りの門、古来よりの聖典、経典と促して実と知る事である。

全ては
ただそこにおいて、真実となるのであり、釈迦もイエスも、老子も、孔子も、空海も、マホメットも、天照も、神々も、大聖人聖僧達も、聖者、天使達も、祖霊、宗祖も、全てそこにおいて命を完成なすと知る事である。

私は自らの体験からこれを教えるのである。


太陽の法嗣

大日天光子

合掌