『宗道、仏道みな大海に一なり!』
仏法、
仏道、
仏教という海に入ったら、その水は全て一つになる!
海の中で水と水とが分け対立しているならば、真、恥ずべき姿である!
その海を海と見れないならば仏教者と名乗るな!
海に万川が流れこむように一つになるのが正しい仏教者、信徒の姿と知る事なり!
大局においては
宗教という大海において全てが一つにかえるのが真実の相である。
一滴、
一滴の水はどの川より流れこもうが大海においては平等にして一となるからである。
この一なる真理を知る者こそ、よく道を見る者と言うなり!
その海において
対立し争っている事こそ、真、悲れにして恥ずべき無知の相と知る事なり。
宗教とは争い
傷つけあい、
殺しあい、
謗りあい、
罵りあい、
害しあう世界ではないのであるから、当たり前の根本こそ全ては目覚て正しく生きる事である。
友よ、
如来の大海の中に命を入れてただ安心の中に浸っていないのが真の仏道者にして菩薩これなり!
その海より
天道と昇華して
雲海を巡りて一道と修し慈悲天水をもって一切衆生、
一切地と注ぐ!
これこそ
如来心一如の菩薩、行者の心これなり!
真の仏教者のあるべき心これなり。
真の如来の大海は天地の全てこれなり!
されば友よ、ただ安心に浸って呆けて、黒潮、赤潮となって流されるなよ!
円教自在、大円と巡るのが正しい道と知る事である。
如来の命の大海に宗という法船を浮かべて人々を乗せても、その船が互いに争い、奪いあっていたら、真に海賊の姿である!
それが仏の船と言えるか考えなさい!
その無明無知の
大海を渡らしめて、光明大悟の地、
天へと至らしめるのが、その船の務めである。
これをよく知り、
仏教者はおろか、
全ての宗教者は真実と目覚めよと言うのである。
その無知無明こそ去れと言うのである。
太陽の法嗣
大日天光子
合掌