『一の世界!』
本当の一の世界には自と他は無いのです。
此と彼も無いのです。
ただあるのは一という世界、不離不滅の命だけなのです。
陰陽が一つになり、日月が一つになり、天地が一つになる、これが最上の男女、夫婦の相である。
そこにあるのは
男でも女でもなく、夫でも妻でもなく、ただ一つの命なのであるから
これを知り、
これを極められるならば、その夫婦を天上天下第一の夫婦と名付けるなり。
与える者と与えられる者という観念も対立も、差別も無い世界!
ただ当たり前にして与えあう一つの命となる!
これが最上の世界であり、命である。
教えるものと教えられる者という観念も対立も差別も無い世界、ただ当たり前にして教えあうという一つの命となる!
これが最上の世界であり、命である。
愛する者と愛される者という観念も対立も差別も無い世界!
ただ
当たり前にして、
愛しあうという一つの命となる!
これが最上の命にして世界である。
自と他がなくなり、ただ一つの命となる!
その一を極める事こそが、最上の命と言い最上の悟りというのであるから。
救うとか、
救われるとか、
救ったとか、
救われたとか、
そんな考えは無いのである!
あるのはただ当たり前にそれがなされている一つの世界、
一つの命なのである!
それこそが真の一の世界であり、最上の世界なのである。
愛しているとか、
愛されているとかいう世界はまだ、
真の愛を完成していない世界であり、
命である。
それらの観念、
対立、
差別を全て無くして当たり前に、ただ愛だけがそこにある!
それが愛という一つの世界の完成された相である!
そこには満ち溢れた愛という一つの命しか存在していないのであるから。
愛しあい、
大切にしあい、
与えあい、
思いやりあう一つの世界それが自然にして当たり前となった世界、それをこそ最上の世界、最上の命の完成された相と言うなり。
そこには自と他の対立も、差別も無いのであるから、してやっているとか、されているとかの観念もまた無いのであり、与えてやったという優越感も与えられているという劣等感も存在しないのである。
ただあるのは、
それを互いに歓びと知りて覚も生きる!
調和された命の世界だけなのであるから。
全てが喜びあい、
楽しみあう、
一つの命の世界なのであるから。
友よ、
仏子よ聞きなさい!
最上の喜びとは、
全てに喜びを与えられる事である。
最上の楽しみとは、全てに楽しみを与えられる事である。
最上の愛とは、
全てに愛を与えられる事であり、
最上の幸せとは、
全てに幸せを与えられる事である。
全ての命がこのように知り、覚め、正しく理解して生きるならば、そこには最高の一つの世界、一つの命が完成するのである。
本当の一の命、一の世界にはゆえに自と他の対立も差別も無く、此と彼もまた無いのである!
あるのはただ一つの世界、不離不滅の命だけなのである。
陰と陽が一つになり日と月が一つになり天と地が一つに融け合って、一つになってしまう!
その一つになった命こそ、最上の夫婦の相であり、人という命の極めである。
一という命を完成する!
これに優りた道は他には存在しないのであるから。
完成された一つの命となるのは、仏陀のゆくところの最上の相づある!
ゆえに仏陀をしてまた如来、即ち全き人と言うのである。
全人格としての世界、その世界としての一つの命、そこには自と他は無く、一切の対立も無いのである。
その命をこそ
第一義諦の命と言い神中の神、
超神、
宇宙即我の命というのである。
その一つの命の一つの世界を完成してゆくのが、全ての人類、全ての命の道なの
である!
それらの世界、命は、その如来の胎蔵、胎内にあるのであるから。
これを人間界では唯一神、ただ一神の世界、命と言うのであり、仏教ではこれをして一仏乗と言い、如来蔵界と言うのである。
摩訶毘廬遮那遍一切處、(大日如来)と言うのである。
愛されているとか、愛しているとかが無い世界がいいのだよ!
そこにはただ愛が当たり前に満ち溢れていて対立が無い!
そんな自と他の差別する者と、される者との対立が無い世界がいいのだよ!
これが人間に正しく理解されれば、
全てが平和になり、幸せになれるのですよ!
そこにこそ
真の愛、
真の幸せ、
真の喜びがあるという事が人にはわからないから、
迷い、
争い、
苦しむのです!
ゆえに早く
その真実の命に、
命のあり方に覚めなさいと私は神と共に教えるのです。
「私は神であり、神の中の存在である!私は道であり、道の中の存在である!
私は大いなる神、如来の中に入り、私の中に大いなる神、如来を入れるのである。法を見る者は仏を見、神を見る!
道を見る者は仏を見、神を見る!
真理を見る者は仏を見、神を見る!
真、道と開き、道と入れば、大いなる悟りもそこと開かれ、真と覚めれば、神、仏は十方世界に遍満するなり!
十方世界は無量の仏達、神々と変わるなり。
釈迦如来もその毘廬遮那遍一切處と生まれて、大日如来と成るなり。
私もまた同じなり。」
太陽の法嗣
大日天光子
合掌
オ一ン・アビラウンケン
オ一ン・アビラウンケン