命の価値! | 太陽王法の会

『命の価値!』  


花、
枯れるを知りて咲かすところに命の価値これあり!

人、
死するを知りて生命を咲かすところに命の価値が生まれる。

咲かせると申すが、ただ金持ちに成るとか、
地位、
名誉、
財宝を
得るとかではなく、命これを咲かす事を教えるなり。

花、
枯れるを知りて命の花と咲かせるも、
人と共に皆本来は無一物なり。

無一物にして美しく咲かせゆくに、
命また輝くなり!

人は、
ここに命を知るが大切なり。  

命これを咲かせるは真実の生きる姿を示しゆくなり。

生きるとは生む事にして、
生み、
生きて、
生まれる事を言うなり。

されば命を命と咲かせる事を真実の生まれる事と言うなり。

本来無一物の命と覚めて生きて咲かし、咲かして生まれゆく事こそ大切なり。  

霊魂と肉体が同一であると言うならば、霊魂は肉体の出生と同時に生まれて、
肉体の死滅と共に滅びる事になるから、この論は否定されなければならない。

全ては因縁に依って生じ、
滅しつつ、
存続するのである。

少年にとって、
幼児、
赤子の自分はそこに無いのであり、
青年にとって少年の自分はそこには無いのであり、
壮年にとって、
青年の自分はそこに無いのであり、
老年にとって壮年の自分は最早無いのである。

このように常に生じ滅しつつ、
存続するのであり、その命たる心は、
その肉体が滅びたからと言って、
滅びる事は無いのである。

全ては、
その因縁によって生滅変化しつつ存続してゆくのである。

釈迦仏も経典で示すなり。

肉体
「第一の妻」も、
財宝
「第二の妻」も、
家族
「第三の妻」も、
遠き死出の旅立ちについて来ないけれど、

「第四の妻」だけは常に共に生きゆくと肉体、
財宝、
家族は共に死出の旅の入口までしかついて来れないけれど、心という本来の命だけは永遠と共にあるのだから!

その命の命としての心こそ常に大切にしなさいと教えているのである。  


太陽の法嗣

大日天光子

合掌