甘露は光より生ず! | 太陽王法の会

『甘露は光より生ず!』  


太陽の光と
一如となして、
よく咲かせ咲くから花は蜜を生ずるなり。

太陽の光と
一如となして
木々果実は甘味、
蜜を生ずるなり。

太陽の光明
一となしてよく命と成すに、甘露そこに生ずと知る事なり。

自己と覚めて
太陽一如と自己の命を咲かせて光と生みゆくに、
「内に蜜」
「甘露アミリタ」
が実と生じて
内の神々を喜ばしゆくと知る事なり。

真の健康は、
そのゆえに果報となって生まれるなり。

太陽一如の甘露を持つに守られゆく
命の妙を知る事なり。

されば太陽一如と
覚め修して
自己を輝かしめて、その甘露の蜜を
実と知りなさい。

その法妙実と生じて命になると知る事なり。

それ
不可思議なり
不可思議なり
甘露妙味は実と溢れて命を守ると知る事なり。

これを知らぬは
衆生の命の損とは、なると教えるなり。

この甘露の真実を知らず人の手で作りて瓶や器に入れて
甘露アミリタなどと人々を騙して売り付けている者達がいる事は嘆かわしい事なり。

それらは
なにも解らないのに、それを金儲けの材料としている事は罪であり愚かな行為である。

オウム真理教の如く教祖の身を洗い清めた水を器に詰めて、甘露だなどと申して売りつけていたのは詐欺とも言えるのである!

売る者も
買わされる者も
なにも真実を知らない悲れな姿である。

他でも同じ事をやっている者達がいるが、みな嘘であると知りなさい。

よいかな!

花の全ては
太陽の光を
その命に受けてこそ、その命の内より蜜を生じるのである。

木々の実も
また太陽の光を受けて一つに育つから、その実に蜜を生じるのである。

その蜜は
みな命の内より生まれるのである。

人の命もまた太陽と一つになって法を修するからこそ、命の内より妙なる蜜、
甘露が生じるのである。

それが甘露の妙味、不可思議なる真実なのである。

実と受けた者にしかこの真実は解せないのである!

人々よ!

騙されてはならない。

愚かなる罪人達よ、人々を騙して金儲けの道具にしてはならない。

その罪の重きを知りなさい。

人々を騙せても天と私は騙せないのであるから。

実と法を修して
その命で知りなさい!

太陽と一つになって法を修して、その命で実と道を見て開き大いなる真理と出会いなさい。

その命の内にこそ偉大なる真実があるのですから

ああ、
不可思議なり
不可思議なり!

その神秘真実は
その命の内にあるのですから!

ゆえに実と至らぬ者には到底理解出来ないと言うのです。

太陽と詣で、
太陽と祈り、
太陽と語り、
正しく法を修しなさい!

命から求め、
その命の内にある心の扉を開きなさい!

命の庫を開きなさい。

私は実と自ら
それを開いて
この命に得たからこそ今の私と生まれ得たのです。

無知にして無学、
大迷大愚の私が尽きる事のない教えを説く命と生まれ得た、事実こそ知りなさい!

大いなる真理は
一人一人の命と
つながっているのですから。

早く真実の法を修しなさい!

私はそれを教え
私の命で示しているのですから!

オ一ン・アビラウンケンは偉大なり!

太陽の法は偉大なり!

全てを光とかえすなり!


太陽の法嗣

大日天光子

合掌

「「大日如来を摩訶毘盧遮那と言う。
毘盧遮那とは本来、マハ一・ヴァイロ一チャナと言う。
ヴァイロ一チャナとは古来太陽の事を言う。それを日本では毘盧遮那如来、大日如来と言うのである。その大日如来の種子を(阿)と言い、その阿を転じたのが、阿毘羅吽欠であり大日如来の事を示し太陽法界の全てを言うのである。ゆえに私は(阿)であり、私自身が「阿毘羅吽欠」であると言うのである。」」