鍋の譬! | 太陽王法の会

『鍋の譬!』


友よ!
全ての人々よ!
子達よ!
これを示すに聞く事なり。

ここに天の料理人がいて、大鍋に具を入れながら、かくとはこれを申すなり。

「一つ一つの味があります!
その一つ一つの味を大切にするのも料理の道です。
しかし、その一つ一つの味を一つの鍋に入れて一つに融けあわした時にこそどんな素晴らしい味を出せるかが最上の料理の道なのです。」

友よ!
人々よ!
この言葉を命に聞けと言うなり。

一人一人の命には一人一人の素晴らしい味があるなり。

その命を大切になして、その味を最上と引き出して命の花を咲かせるのも道にして大切なる命の営みこれなり。

しかし、その一人一人の味を一つの世界に入れて一つに融け合わした時にこそ、どんな素晴らしい味を出せるかが、最上の命の道と知る事なり。

その鍋、
世界において
それが対立していたり差別していたり、拒絶しあいたり、
恨み憎しみあいたり謗り罵りあいたり、それぞれの味
「我」
に執着して固まっていたりしては
毒や悪「アク」
こそ生じても
最上の味わいある命は得れぬなり。

よりよき味の世界もならないのである。

互いに相手を尊重しつつ融け合い
調和してこそ
その味は妙味を増すと知る事なり。

一つに融け合いた鍋が最上の味を出すように、一つに融け合いた命が最上の世界を生むと知る事なり。

この味を全ての人々が味わうのが
平和と幸せの相とこれを知る事なり。

友よ!
人々よ!
子達よ!

汝達は、これを自分達一人一人の命の上に見て、はたまた命と命の上に見て
国と国、
民族と民族、
宗教と宗教というように全ての上に見つめ見なさい。

政治においても
文化においても
この教えと一つに見つめて、最上の味を出す事の大切さこそを学びなさい!

それこそが汝等全ての目指す真の道にして、真なる命の道と教えるなり。

友よ!
一つ一つの具が自らの味「我」にこり固まって一つに融け合おうとしないならば、その鍋の味は分裂して毒とはなって生じるなり。

その自我、
自己中心主義、
固執執着の我を捨てて互いに一つに融け合いた時こそ
最上の味が出ると知る事なり。

この具とは友よ!

汝の命であり
汝等の命である。

この具とはまた
民族であり
国であり
組織であり
文化であり
思想であり
政治であり
宗教である。

自己に固執し、
こり固まっている味とは、
差別であり
対立であり
分断であり
拒絶であり
迷苦であり
争乱であり
苦しみの因であり果である。

融け合いた味とはゆえに
平和であり
幸福であり
安定であり
安心であり
安楽であり
調和であり
喜びの因であり
果であり、
苦しみを無くす因であり果である。

鍋とは
ゆえに汝等の暮らす世界であり、
この天地と知る事なり。

他民族という具を一つの鍋に入れて
一つの味に融け合わせられないならば、平和という最上の味は得られないのである。

一つの鍋たる国、
世界において
一つに正しく融け合うからこそ最上の味が得れるなり。

それには、それぞれの持っている味を尊重しあいながら一つに融け合う事こそ大切である。

そこに真理の智慧の光を調味料として加えて全てに一つに生かせば
最上無上の味が誕生すると知る事なり。

天の料理人は
この料理を道とはなすと知る事なり。

宗教の者達は
この事を特に宗教と宗教の間において、よくと考えゆきなさい!

この名人たる料理人中の料理人とは仏陀であり、神でもあると知る事なり。

ゆえに人々よ!
その闇く愚かなる無知を去りて
真の命、
真の道をこそ覚め生きなさい。

民族対立、
国家対立、
宗教対立、
あらゆる迷苦の因縁を去りて
真実の命、
道を生きなさい。

真の仏陀、
真の神は
この自と他を分けて対立したり
させたりの愚かな事は無いと知る事なり。

そのような者を神とも仏とも言わぬ事を全ては覚め知りなさい。

友よ!

山海の珍味を一つの大皿に乗せて調和せしめるから真の料理人と言うなり。

一つの大皿で調和させながら一つの味をそこに出し広げるから、道も輝きゆくと知る事なり。

神や仏は三界の命を一つの大皿
「世界天地」
に一つに乗せて
「大乗一乗」
調和せしめるから、真の神、
真の仏と言うなり。

その一つの大皿
「大乗一乗、一神真理」に一つに調和せしめながら、
一人一人の命の花を咲かせ輝かしめるから、その道も輝きゆくと知る事なり。

真の神、
真の仏においてはゆえに、その命とその世界を差別したり、対立したり、
させたりはしないのである。

ただ無知にして無明、道を知らずして真実道理を知らない暗き者のみがこれを忘れて、
人々を誤またし
闇、
迷苦と落とすと知る事なり。

友よ!
自由と平和と平等とを神の前で誓う人達よ!

汝等の神には天秤、天の秤りはないのか!

その秤りを示し掲げる神や仏ならば、
その秤りの上に差別これのなさぬなり。

民族においても
国においても
宗教においても
その全ての民
命においても
差別これをなさぬなり。

その天秤の一方に、差別をおけば天秤の中心は立たずして、神の心、
神のその座は崩れるなり。

この当たり前を汝等は道理と見よ!

この天秤に反して真の平等は無く
道も無く
自由も
平和も
正しくならぬと知る事なり。

ゆえに神の御名において
自由と平和と、
愛と平等とを誓うならば
その道をこそ守りて天秤を命、
心に持ちて正しくゆきなさい。

天秤の正しい相、
正しい教理を全ての上において読めぬ者をまた、
神とも仏とも言わぬと知る事なり。

すなわち、
その民族において、国において
命において
道において
宗教において
片より差別するならば
神、
仏に非ずと知る事なり。

天秤は中心中道をして平らかになりてこそ、天秤とは知る事なり。

ゆえに私は真の神、真の仏陀には、
自と他を分けて争い争わすような愚か者はいないと示し
そのような者がいると言うならば
私の前に連れてきなさい!

その愚かな頭に拳骨を与えて覚めさしてやるとも
大馬鹿者と雷音大音声をもって叱り
その闇、無知無明を正してやるとも
これを示すと知る事なり。


太陽の法嗣

大日天光子

合掌