真実の自在主、赤い花は赤いままにそだてる! 2 | 太陽王法の会

『真実の自在主、赤い花は赤いままにそだてる!』

(その2)

友よ!

不退転の念仏者に対して、無理やり題目を押しつけてなんになるであろうか。

なんにもならないのである。

友よ!

不退転の題目者に対して、無理やり念仏を押しつけてなんになるであろうか。

なんにもならないのである。

逆に対立や断絶が生じる結果にもなりかねないのである。

真の自在者、
自在智者であるならば、
念仏者には念仏をもって
題目者には題目をもって
そのまま導きゆくのであり、ゆけるのである。

そして、その両方をして最後にはともに一つの真理へと帰一せしめてしまうのである。

すなわち、その色を無理やり変えようとするのでは無くして、その色をその色と知り、その色をもって鮮やかに荘厳せしめ生まれせしめて、一の真理へと帰すのである。

全てをそのようにして一と帰一せしめて、全てを一の真理に乗せてしまうから、それを大乗一乗と言うのであり
真諦第一義諦、
一仏乗の導師と言うのであり
仏陀と言うのである。

これは
真言においても
禅門においても
仏教全てにおいてもそうであり、
仏教と神道においてもまた同じ事なのである。

されば
仏教
神道
神教においても
そうなのであるからキリスト教
イスラ一ム教
ヒンズ一教
ユダヤ教
ジャイナ教
シ一ク教
ラマ教等々の全てにおいても、その極根本のところにおいては本来的に同じなのである。

全てにおいて
真の観自在王、
自在主は、
その色を無理やり他の色に染めようとはしないのであり
染める必要もまたないのである。

そは全ての色を知っており、その至るべきところをまたよく知っているからである。

ゆえに
その色のまま導き、荘厳せしめて
大いなる道、
真理へと帰すのである。

その帰したところで全ては一となるから、それを真理真実の教えというのである。

ゆえに全ての宗教の相は一相であり、
味は一味であり
法は一法なりと言えるのであり
真諦第一義諦の完成者とも言えるのである。

この大いなる乗り物ゆえに、それを法身如来蔵と言い、
大乗一乗と言うのであり
一切薩般若とも、
毘盧遮那遍一切處とも言うのである。

この如来真理胎蔵界の理と覚すのが、
大いなる悟りと言うのである。

ゆえに、
ここにおいて
一仏乗の真実は
そのまま一神教の真実となるのであり、唯一神明とは、
またこれの事を言うのである。

大乗仏教はゆえに典型的な一神教でもあり一神教はまた大乗一乗教これと申すなり。

しかるに、そこと至る道の全ては
多神教、
多仏乗の相、
色どりこれを見せるなり。

一の中の全、
全の中にある一
この全てと貫ぬいている真理ゆえに、
それをこそ、
真諦第一義の真理、真実これと証せるなり。

菩薩、
摩訶薩、
明王金剛、
諸天神々、
聖、
沙門、
僧俗全てと、
一切の衆生大衆の全てはゆえに、
この私の教えこそ、よく耳をかたむけ、心をかたむけ、
命に聞けと教えるなり。

その真実の座処においてこそ
私は大音声をもって今の私を否定するならば、その者を何人においても覚者とは言わず、
神とも、
仏とも、
真実なる大乗の菩薩金剛とも言わぬなり。

真の大覚者にして、成道者にして、
観自在智を持つ者ならば、
このような事は当然の如くに知りゆくものと示すなり。

なぜならば、
これを知らずしては真の無上正等覚、
無上正遍知、
阿耨多羅三藐三菩提も解せぬものと申すなり。

ゆえに、あらためてその対立の無知、無明をこそ気づきて、道と覚めかえれと示すなり。

赤色赤光、
黄色黄光、
青色青光、
白色白光、
雑色雑光、
真の如来仏陀大覚者なれば、
赤い花は赤いまま、黄色い花は黄色いまま、
青い花は青いまま、全てそのままに育て導き大きく成長させて最後にみな大いなる一の真理、
第一義諦と帰一させると知る事なり。

この心ゆえにまた、一切薩般若と修し
修して、
一切自在主、
自在智と磨き磨くと知る事なり。

ゆえに真の覚者は、大いなる道と開いて後にこそ、
真の修行の一歩を踏み出すなり。

仏陀は仏陀としてそこより、その一歩を踏み出すのであるから!

私は、
また仏陀の初めを完成とは言わず、
仏陀となっても、
仏陀としての一歩は、そこから始まるものと言うなり。

全ての世界、
全ての衆生、
全ての命が一つとなって、
全てが平和となり、自由となり、
幸福となり、
救われずしてなんのその道を閉じるなり。

億千万年でも
そうなるまで
修行の中と申すなり。

修し行じて
修め行いて
全ての救われるまで、その修行は永遠の道となしゆくなり。

この道において
なんの閉じるを
なせるなり。

全てを救わずして、道に滅する事は非らずなり。

不滅の道をゆえに、永遠と歩みゆくとは申すなり。

全てが平和になり、幸せになり
覚めを得て真の自由を知り
真実の命と生まれ得て完成し
救われたる時、
全ての世界が天国となり
浄土と完成したる時こそ
はじめて真の眠りにつけると申すなり。

その時まで
それが億千万年の彼方までであろうが、その道に不動不退転と立って常に救って救うと知る事なり。

全ての全てに光を与えて遍ねく光と帰らしめるのが、
真の神仏の心とこれを知る事なり。

この道の心こそ全ては忘れてはならぬと教えるなり。

特に宗教家、
宗教と共に生きる全ての者達は、
この心こそ忘れてはならぬと教えるなり。

そして無知大愚の、宗教対立こそ大迷大苦の因と気づいて、そこより去りて生きよと示すなり。

ようく義と、
真実と道理を見て、自己の智慧こそ磨けと教えるなり。

その汝達の為に私は真理の扉を開いて、教えを説いて説くとは示すなり。


太陽の法嗣

大日天光子

合掌