日蓮の証明はいずこにも無し! | 太陽王法の会

『日蓮の証明はいずこにも無し!』


日蓮が日本一だ等とは天上天下において今だ誰も証明していないのであり、
天衆においても一切言われる事は無いのである。

ましてや世界第一などと誰が証明すると言うのであろうか!

この
日蓮を本仏と言い、久遠元初の本仏などと言うに及びては、それを正しく誰が証明すると言うなり!

天上天下神々一切、十方法界諸仏一切、真理一切界の何人も証明する者はいないのである。

自賛毀他の対立論にして万法の大理そこと至れず、
日本一も世界一も、仏と至りた事さえも証明できないのである。

ゆえに
その全ての門徒も弟子も万教と見聞して
日蓮をも超えて生きよと言うのである。

法華経の一乗においても、
その五字題目においても、
その真釈においては日蓮自身が今の私におよばずして一乗一義の私の坐処には至れないのである。

私は一切薩般若海の行者であり
その智
その釈
その実体験
験証において私に遠く及ばぬ日蓮をして
大日如来、
阿弥陀如来、
釈迦如来、
一切諸仏を超えた、久遠元初の本仏などと申すに及びては、ゆえに
大妄中の大妄言と言うのである。

いずこに
それを証明する
神々、
諸仏、
天人聖霊のいると言うのか!

いずれにそれを証明する文証のあるというのか!

誰一人
なに一つをして仏陀と認め得るものの無くして、
どこに証が立つと言えるのか!

よく考えゆけと言うのである。

妄語を作して人を誤やまたし騙してはならぬと言うのである。

私は五字の題目とは唱えぬが真の成道をこの身で体認するゆえに真の一乗を知り大いなる智見と持するに、
日蓮を大きく超えて正釈なして真の一乗とこれを帰す事ができるのである。

独善独断の妄釈には非ずして正と示すと知る事である。

この事実こそをよく知りて
一宗独善、
自讚毀他、
宗教破壊、
仏教分裂の
大謗法をやめる事である。

日蓮が
地涌の菩薩の一人ならばみな法において太陽たる大日如来の足下の者と知る事である。

大日経に示される、大日如来である一切薩般若を詣でるとは、
あなた達地涌千界の菩薩達と知る事である。

みな、
「真理太陽大正法」阿毘羅吽欠と聞きて未曾有の開覚をなすとも示されるのである!

この事実こそよく至りて知れと言うのである。

そもそも
妙法蓮華経とは蓮華の法なるに
太陽主たる大日如来「マハー・ヴァイローチャナ」
と言い古来太陽のことをあらわす!

「阿毘羅吽欠」
に詣でて、
一と開き、
一と咲くのである。

蓮池の蓮華の相に、映して見てその教えを実と読めと言うのである。

日蓮自身も、
摩訶毘盧遮那!

すなわち、
大日如来一切薩般若主と詣でた地涌の菩薩の一人なのであり仏法の甚深広大なる真実こそをよくと知れと言うのである。

法華経も文上に読むのではなく、
その身命に実と験証してこそ真と読むと言えるのであり、
実と成道験証した者にはかなわぬものと知る事である。

その神秘神妙にして偉大なる真実はただ至りた者のみが理解できると教えるのである。

仏は、
ゆえに仏が一番知っていると言うのである。

全ては、
ゆえにその命でこそ至り修せと教えるのである。

「ぶつかりものは離れもの!」

「対立争論の宗教はこれなり。
対立ゆえに対立の中に病みゆくなり。
内よりまた対立なして崩れるなり。
これを、
繰り返すゆえに、
ぶつかりものは離れものと言うなり。
権欲と権欲は一つになれず。
悪者と悪者もまた真実の友にはなれず。ぶつかりものは離れものなのである!」


太陽の法嗣

大日天光子

合掌

オ一ン・アビラウンケン

日蓮自身が自分の事を自ら、
「日蓮の末は不軽菩薩である。」
と申している意味をこそよく考えて知る事である。

太陽の下に集う地涌の菩薩達の相をこそ知りなさい!

蓮華は太陽の下にありて咲くのであるから。

その蓮華とは一人一人の命の中にある
「仏性、菩提心」
を教えているのであるから!

南無して、
妙法によって、
自らの内なる仏性蓮華をこそひらいて実なる悟りと至りなさい。


オ一ン・サッダリマフンダリキァ・ス一トラ

南無妙法蓮華経

合掌