真理一如の私とは! | 太陽王法の会

『真理一如の私
とは!』  

私は人であり、
人であり仏陀で
ある。

仏陀であり、
人であり、
人でありまた、
仏陀である。

私は人であり、
人であり神でも
ある。

神であり人であ
り、
人であり神であ
る。

私は人であり、
太陽の神の一人
であり、
太陽の神の一人
であり人である。


私は、
また日の源の大
正法、
大光明遍照の法
を顕しめて世界
を光へと救う者
でもある。

全てを正法へと
覚めせしめる者
にして、
全ての夜を滅し
て朝の覚めを、
太陽が与えゆく
ように、
全てを蘇生せし
める者でもある。


その私をして、
人々は時に
『救世主』と呼
ぶのである。

ゆえに私は人で
あり仏陀であり、

仏陀であり、
神であり、
神であり人であ
ると言うのであ
る。

太陽の国の大光
明、
『救世の法』は
今ここに明らか
に示される事に
なるのであり、
全ては、
ただこの法教に
依りてこそ、
その命を高らか
に昇華し、
誕生せしめると
知る事である。  

大日よ、
天光子よ、
貴方は人なのか。

「そう私は人で
ある。」

貴方は仏陀なの
か。

「そう私は仏陀
である。」

貴方は神なのか。


「そう私は神で
ある。」

貴方は嘘、
妄語をつかない
のか。

「そうついては
いないのである
。」

それでは、
貴方は人か、
仏陀か、
神か、
一体いずれなの
か。

「私は人であり
仏陀であり、仏
陀であり神であ
り、神であり、
仏陀であり、人
である。大日た
る一如の私は全
てであり、そこ
に妄語など存在
しないのである
人々はこれが
解せないから、
大いなる命の境
涯がわからない
のである。」

大日よ、
天光子よ、
貴方はどのよう
にして人となり

仏陀となり、
神となるなり。

「人と生まれ人
を顕して人とな
り、人と生まれ
人を生きて人と
なり、人と生ま
れ人を営みて人
となるのであり
人の命の道の
心の扉を開いて
人の命の真実
と覚めて仏陀と
なり、道を成し
て、悟りを開い
て、自己の無知
無明を滅して仏
陀となり、一切
衆生にむかいて
済度心、大いな
る心をおこして
、利他の覚行を
円満せしめて仏
陀となり、法と
道を見て、大い
なる真理と成道
なして仏陀とな
り、法と一如、
真理と一如とな
りて仏陀となる
のである。覚者
となり、金剛と
なり、大いなる
道と帰りて神と
なり、神の命、
神の道の存在と
なりて神となり
その道を生き
て歩みて、大光
明の命と生まれ
て神となり、大
いなる真理一実
と生まれて、一
切に大光明の道
を示して神とな
るのである。神
も仏陀も本来而
二不二にして一
如なるに、それ
を知る私はゆえ
に、人であり仏
陀であり、また
神であると言え
るのである。」

大日よ、
天光子よ、
今一度聞きます。


貴方はどのよう
にして人となり

仏陀となり、
神となるのです
か。

「人を顕して人
となり、仏陀と
覚り顕しめて仏
陀となり、神と
示し申して神と
なるのである。」


「人と生まれ顕
して人となり、
道と発心し修し
行じて、証菩提
心となして仏陀
となり、成金剛
心、証金剛身と
完成なして神と
なるのである。」


友よ聞きなさい。


私は人とあらわ
す時は人であり

仏陀とあらわす
時は仏陀であり

神とあらわす時
は神である。

大日如来と成道
して、
その大いなる命
に一実とかえり
生まれたる私に
おいては、
全てが私なので
あるから、
私はまた全てな
のである。

即ち友よ!

花とあらわす時

私は花となり、
鳥とあらわす時

私は鳥になり、
山とあらわす時
は私は山になり

雲とあらわす時
は私は雲となり

風とあらわす時
は私は風になり

雨とあらわす時
は私は雨となり

春とあらわす時
は私は春となり

夏、
秋、
冬とあらわす時

私は夏、
秋、
冬となるのであ
る。

友よ!

仏陀の覚りにお
いての第一義諦
には自他の対立
はないのであり

それをそれとあ
らわす時、
私はそれとなる
のである。

その大いなる覚
りの境涯におい
て私は仏陀覚者
となり、
太陽主とかえり
て、
太陽大光明の金
剛身と生まれて
私は神となるの
である。

大日としての私
はゆえに全てな
のであるから、
私は神にも、
神々にも、
菩薩にも、
金剛にも、
明王にも、
仏陀にも、
ありとあらゆる
姿となって道を
成すのである。

その大いなる命
においては、
この太陽宇宙を
命として太陽の
神とかえるので
ある。

これが人々には
理解できないか
ら真の神の境界

仏陀の第一義諦
の悟りの境涯、
これを理解でき
ないのである。  

友よ!

私の名は本当は
「阿」と言うの
である。

他の無量無数の
名は、
ただこの本名を
転じてあらわし
たにすぎないの
である。

太陽の光明を転
じて全ての命を
あらわすように

「阿、a」

を転じて、
全てとあらわす
のである。

この阿をしてゆ
えにまた、
因、
始、
初、
元、
本、
親、
師、
主、
全、
無、
有、
等々とも教える
のである。

その「阿」が私
であり私の本当
の名と言うので
ある。

ゆえに私が阿の
一文字を説けば
無量無盡であり
一切と説くと言
えるのである。

太陽の法嗣

大日天光子

合掌