開悟の門! | 太陽王法の会

『開悟の門!』  

太陽観瞑想、
禅定神秘門にお
いてその法を修
し、
その大いなる、
神秘大法を現実
として自己の、
内証に体認験証
すれば、
人はそこにおい
て大きく迷いに
迷うのである。

その迷いに迷っ
ている中で、
例えば木の実が
地面にポトリと
落ちて、
その音を聞き、
その相を見て、
ハッと目の前の
現実に気づき気
づかされて、
突然開悟するの
である。

大きな法の真実
を見て、
目の前の現実を
見失っていた自
分に気づき、
気づかされるの
である。

人は、このよう
になにか起こる
と慌てたり、
そこに捕まりて
迷ってしまうの
である。

そのすぐに見失
って迷いに迷う
自分というもの
を教えられ、
気づかされるに

そこにおいて真
の開悟となるの
である。

その大いなる迷
いより醒めて、
その覚めを得た
時にこそ、
パチンと音をた
てるように、
眼のウロコが実
と落とされるの
である。

その時にこそ
大歓喜と生まれ
て、
感謝と喜びの涙
が生じるのであ
る。

この実なる開眼
の涙の量と一つ
に、
天は雨を降らし
て天の涙を示し
て見せ、
共に喜びてくれ
るのである。

この大いなる天
の導きこそが

『太陽の法の真
実』

なのである


仏典に示して、
瞑想のウサギが

その瞑想で天地
がひっくり返る
相を見せられ、
この世が終わり
だと思いて、
大変だ、
大変だと迷い騒
いだ時、
獅子が前に立ち
て、
目の前の現実を
見よと一喝して
現実のなにも変
わらぬ事を教え
て、
気づかしめるに

ウサギはハッと
気づかされて、
現実に覚め、
眼のウロコを落
とすと言う物語
りも、
その教えの一つ
である。

そこにおいて、
真実と得る開眼

歓喜の涙、
歓喜地こそが大
切なのである。

そこより常に目
の前の現実、
真実を正しく見
る目、
心を得て、
真実道理をもっ
て正しく生きる
を知るのが、
道の教えなので
ある。

これただの観念
の教えに非ずし
て、
真実現実に生ま
れるところの大
いなる神秘、
太陽の法の真実
にして、
大いなる悟りの
教えの諦と知る
事である。

この現実を自己
の命に体認験証
するに、
そこより不退転
の心を生じて、
大いなる智慧を
獲得出来るので
ある。

人は、
ちょとした事で
すぐに迷ってし
まう。

そのすぐに迷う
自分に気づき、
気づかされて目
の前の現実を正
しく見て生きな
さいと、
大いなる神秘を
実と現じて導き
下さる

『太陽の法』

を知らなくして

その開眼は得れ
ず理解できない
であろう!

ここにおいて実
と開眼するゆえ
に真の悟りの一
歩が始まるので
ある。

天雨天水に祝福
されて歓喜する
涙を知らずして

真の開眼悟りは
無いのである。

これが十地で
教える
第一地、
『歓喜地』であ
る。

その歓喜あるに
第二地の
『離汚地』が実
となり、
汚れを離れるゆ
えに、
第三地に
『発光地』がな
り、
その命が輝いて
くるのである。

更に光を増し輝
くのが
第四地、
『焔慧地』であ
る。

精進修行によっ
て大いなる智慧
を獲得して生ま
れる地が、
第五地、
『難勝地』であ
る。

至り難く勝る地

無知より勝った
命の地、
即ち自らの仏と
しての完成、
大悟の命の誕生
である。

これが上求菩提
の道の完成、
自利の証得であ
る。

そこから更に、
利他の万行に入
り、
悟りの智慧を更
に広げてゆくの
が、
第六地、
『現前地』、

第七地、
『遠行地』、

第八地、
『不動地』、

第九地、
『善慧地』、

第十地、
『法雲地』であ
る。

ここに自他の万
行が完成して大
いなる命と生ま
れたのが真の仏
陀であり、
私はこの地を

『仏果地』

と名づけ、
無上等正覚、一
切の完成者の地
を、

『極究竟地』と

教えるのである


第一義諦の大い
なる命の完成で
ある。

仏陀はここにお
いて神一如の神
となるのである


ゆえにこの生ま
れた仏陀をして

『アディダァヴ
ァ』

超神と言い、

『ダァヴァティ
ダァヴァ』

天中の天、
神中の神と言う
のである。

唯一神一如の誕
生である。

仏教の道、
大いなる悟りと
はこれを言うの
である。

これも解らず、
実と至りた事も
無い者達が仏陀
だの、
救世主だのと、
名乗りているの
は、
みな盲悟の言葉
である。

真と至りた仏陀
は自ら説くので
あり、
人がこう言った
だの、
人の霊言だなど
とは言わないの
である。

先者においても

こう言っている
からこの方こそ
が唯一人の真の
仏だとかなどと
は言わないので
ある。

末法において大
いなる法と教え
を説く者が現れ
るとは、
どういう事かよ
く気づく事であ
る。

これで

『日の国の日の
法』

『太陽の法』

『偉大なる救世
の法、それを実
と説く者によっ
て保持されるで
あろう!』

と言う予言が解
ったであろう!

『世が乱れ、道
徳が失われた時
、太陽は自らの
化身を世に使わ
して大いなる法
と教えを説かし
めるであろう!


という予言も実
となるのである


人々よ!

早く気づきなさ
い。

早く目覚めなさ
い。

私は、
それを全てに与
える為に太陽に
導かれて生まれ
来たのであるか
ら。

私の識心からは
尽きる事の無い
泉の如く智慧が
生まれるのであ
るから。

勉強も満足にし
ていない無知大
愚の私がかく法
と教えを説いて
いる不思議こそ
が真理の偉大さ
である。

なにも解らずい
る人々こそ、
真悲れである。

私を解らず輕る
んじている人々
はもっと悲れで
ある。

ただ一人こうし
て全ての為に説
き続ける私に早
く気づきなさい


私の法と教えに
ふれる者は幸い
である。

天の果報は、
その者達のもの
なればなり。

私を助け供養し

教えを広く人々
に伝える者達は
もっと幸いであ
る!

その者達は、
すでに天を得た
者なればなり。

太陽の法嗣

大日天光子

合掌

オ一ン・アビラ
ウンケン