施与されるもの。
その心を、
受け取って、
相手の命に功徳を積ませてあげるのが、布施を受ける者の心である。
施与する事で、
自らの命に、
功徳を積ませていただくのが、
布施する者の心である。
このゆえに、
果報となって、
あらわれるのである。
これ共に、
心こそが肝心なのである。
真の布施は、
その命の徳行にして、
自らの心でするものであり、
強要されてするものは真の布施に非らざるに功徳は無いのである。
無知と騙されて罪人を生みゆくゆえに、逆に悪苦となって、めぐりかえるからである。
貧女の一灯、
長者の万灯に優る。
布施供養は、
その金銭の額や、
物の多い少ないで、秤るものではなく、するものではない。
心でして、
心で受けるものである。
その金額の多い少ないで、
功徳の大小を秤り、申する事などは、
愚の骨頂にして、
大馬鹿者の心である。
ましてや、
それを申して競わせるに及びては、
貪欲の亡者の相である。
布施とは何か。
全ては正しく悟りて正しくなしなさい。
布施供養する事で、自らの命を養い、
自らの徳を命に積むのである。
布施供養される事によって、
される者は正しく、その命を養う。
布施する者と、
される者とが、
共に、
その命を養うゆえに
、
これをして真の供養と言うのである。
神仏の救い導きは、取引でも売り買いでもない。
神仏の祓い清めは取引でも売り買いでもない。
されば、
その癒しも、
布施もまた、
取引や売り買いでするものではない。
心と心、
命と命でするものである。
神仏の救いや祓いをもって布施の金銭を高額と強要し、
商売の如くなす者、詐欺の如くなす者。
それら全ては、
イカサマ師と知る事である。
騙されるのではないですよ。
いくら困っても、
いくら金があっても騙されてはいけません。
虎視眈々と、
狙っている者達が、いると気づきなさい。
神仏が何百万円と寄越しなさいなどと言いますか!
困り、
迷っている時こそ、気をつけなさい。
当たり前の心で、
判断して、
その無知の迷いからぬけなさい。
騙す者も、
騙される者も、
共に苦しみの世界と落ちるのですから。
人々よ!
これを、
まわりの人々にも教えてあげなさい。
騙す者達は皆、
末には、
悪趣苦界に落ちて、
その罪を償う事になるのですから。
その無知に、
早く気づく事です。
合掌
太陽の法嗣
大日天光子