布施の心 4 | 太陽王法の会

施与されるもの。

その心を、
受け取って、
相手の命に功徳を積ませてあげるのが、布施を受ける者の心である。

施与する事で、
自らの命に、
功徳を積ませていただくのが、
布施する者の心である。

このゆえに、
果報となって、
あらわれるのである。

これ共に、
心こそが肝心なのである。

真の布施は、
その命の徳行にして、
自らの心でするものであり、
強要されてするものは真の布施に非らざるに功徳は無いのである。

無知と騙されて罪人を生みゆくゆえに、逆に悪苦となって、めぐりかえるからである。  

貧女の一灯、
長者の万灯に優る。

布施供養は、
その金銭の額や、
物の多い少ないで、秤るものではなく、するものではない。

心でして、
心で受けるものである。

その金額の多い少ないで、
功徳の大小を秤り、申する事などは、
愚の骨頂にして、
大馬鹿者の心である。

ましてや、
それを申して競わせるに及びては、
貪欲の亡者の相である。

布施とは何か。

全ては正しく悟りて正しくなしなさい。    
布施供養する事で、自らの命を養い、
自らの徳を命に積むのである。

布施供養される事によって、
される者は正しく、その命を養う。

布施する者と、
される者とが、
共に、
その命を養うゆえに

これをして真の供養と言うのである。

神仏の救い導きは、取引でも売り買いでもない。

神仏の祓い清めは取引でも売り買いでもない。

されば、
その癒しも、
布施もまた、
取引や売り買いでするものではない。

心と心、
命と命でするものである。

神仏の救いや祓いをもって布施の金銭を高額と強要し、
商売の如くなす者、詐欺の如くなす者。

それら全ては、
イカサマ師と知る事である。

騙されるのではないですよ。

いくら困っても、
いくら金があっても騙されてはいけません。

虎視眈々と、
狙っている者達が、いると気づきなさい。

神仏が何百万円と寄越しなさいなどと言いますか!

困り、
迷っている時こそ、気をつけなさい。

当たり前の心で、
判断して、
その無知の迷いからぬけなさい。

騙す者も、
騙される者も、
共に苦しみの世界と落ちるのですから。

人々よ!

これを、
まわりの人々にも教えてあげなさい。

騙す者達は皆、
末には、
悪趣苦界に落ちて、
その罪を償う事になるのですから。

その無知に、
早く気づく事です。
合掌

太陽の法嗣

大日天光子