パズドラにはじまって黒猫のウィズ、白猫プロジェクト、グラブルといろんなゲームをやってきたわけだが、そろそろソーシャルゲームに飽きた。最近配信されたポケマスもほとんどプレイしなかった。実際には「飽きた」というのは不正確で、「RPG系ソーシャルゲームが本来的に持つ不快な性質」に耐えられなくなった、という方が正確である。
1. 結局何が自分には向いてなかったか?
1-1. 義務的にやらないといけない期間限定イベント
ソーシャルゲームがソーシャルゲームたる所以は、コンシューマーゲームと違って随時的にアップデートを行って新しいゲーム要素を追加したり期間限定イベントを開催することができることにある。期間限定イベントには、ある一定の到達ラインに達する(ex.周回することで得られる素材/ポイントを集める、周回して確率で手に入るものがドロップするまで粘る)ことで得られる限定報酬が存在し、イベント期間を逃すとその限定報酬は入手不可能になる。ゆえに、期間限定イベントはその限定報酬が編成に投入されるかどうかにかかわらず、""絶対に使わないと言い切れない限り""、必ず期間内に回収しなければならない。自分は他のことで忙しくなった時にわざわざ時間を捻出してやろうという気持ちにはなれなかった。
1-2. 完結しないストーリー
グラブルなどのRPG系のソーシャルゲームには当然メインストーリーがあり、アップデートによってメインストーリーが少しずつ追加される。しかし、メインストーリーが終わることは以降のアップデートがなされないことと同義なのでメインストーリーは完結しない。それを補完するためにメインストーリーに関係しないキャラを再現なく増やしてそれを補完するサブストーリーを期間限定ストーリーとして量産する。こうしてサブストーリーを打ち出して新キャラを追加することはガチャに新キャラクターを追加することができるため運営側としてドル箱なので、次第にメインストーリーとサブストーリーへの力の入れ方の比重が逆転していき、メインストーリーがおざなりになる。
自分は(ギャグ系でない)物語を読む際に、「この物語では何が描写されていて」、「各登場人物は物語の中でどのような役割と持っていたか」などを重視して読むので、ストーリーに関連しないキャラクターがどんどん追加されるのは正直理解できないし、永遠に完結しないストーリーや量産されるサブストーリーに関しては全く読む気にならないのでほとんどスキップしていた。
1-3. 結局、ガチャ
結局ソーシャルゲームは基本無料という文句を謳いつつも結局は収益を上げなければならないので何かしらの課金要素がある。現状その課金要素はほとんどの場合「ガチャ」である。このガチャの悪要素を説明するためにはソシャゲのガチャが辿ってきた歴史を説明する必要性がある。
1-3-1.ガチャ黎明期(Phase.1)
パズドラの初期が例に挙げられる。排出されるキャラクターはどのレア度でもそれなりの使用用途がありキャラ間の格差は少なく、課金すれば多少の性能の差はあれどそれなりに使い道のあるキャラが手に入った。一部には人権とされるキャラ(オロチなど)がいたが、キャラが少ない以上多少課金すれば引けるため1体手に入れる程度であれば多少の課金でも充分であった。この時ゲームの収益の大部分は同じキャラを重ねることで確率で上昇するスキルレベルの上昇のため同じキャラを何体もひくことを目的とするプレイヤーが担っていたように思う。この頃であれば3000円ぐらい課金すればまあそこそこの戦力にはなると思う。
1-3-2. 最高レア度至上主義時代(Phase.2)
目玉の最高レア度のキャラクターがある程度追加されると、もはやそれ以下のレアリティのキャラクターは完全なるハズレ扱い(絶対に使わない)となる。一方で運営は課金してもらうために、一般的な給料日くらいに最高レア度の排出率が増加するイベントを開催するようになり、プレイヤーはそのイベント期間中以外ではガチャを引くことはなくなる。最高レア度の元の排出率は変化しないため課金額当たりの使えるキャラ数は減り、キャラ単価を想定した場合キャラ単価は上昇する。こういった策は最初は効果を発揮するが、初期のインパクトは徐々に薄れ課金する人は減り、それに応じて高レア排出率上昇イベントの開催頻度が増える。排出率アップのたびに5000~10000円程度課金すればまあそこそこ強くなれる。
1-3-3 限定キャラの登場(Phase.3)
上記の最高レア度の排出率が上昇するイベントの開催される頻度が増加するともはやその"ありがたみ"は薄れ、わざわざ課金しようという人はいなくなる。そうなると運営側として新たなテコ入れが必要となり、いわゆる「限定キャラ」が投入される。限定キャラとは、最高レア度が排出されるイベント中に低確率で排出されるこれまでの最高レア度よりも一回り強いキャラクターのことである。こういったキャラクターは基本的には必ず編成に入る人権キャラ、もしくはそのキャラを主軸に置くことが非常に強い編成が組めるようになる人権キャラであることがほとんどで一時的にセルランが急上昇する。留意点としては、この際にガチャの単価は変化しないので単位課金額当たりでの使えるキャラ数の期待値は一気に下がり、価値あるキャラを入手するためにかかる金額は増加する。この後少し遅れて、季節キャラやコラボキャラクターなどの専用の期間限定ガチャにも限定キャラと同等の性能を持つキャラクターが同等の確率で排出されるように実装される。
これが数回繰り返されて編成から恒常キャラクターが外れるようになると、もはや最高レア度であっても恒常キャラクターは"ハズレ"となる。この段階になると実用性のあるキャラを1キャラ手に入れるためには2~30000円程度は必要になる。
1-3-4 旧キャラの切り捨て(Phase.4)とそれ以降の展開
旧キャラとは一線を画す強さを持つ限定キャラが実装されると、クエストの難易度が上昇しもはや恒常キャラは足を引っ張るキャラクターとなる。それと同時並行でクエストの難易度も上昇し、もはや恒常キャラは使用されることは一部を除いて完全になくなる。限定キャラクターの数が増えてくると限定キャラの中にも強さの格差が表れ始め、「当たり」の確率はさらに下がる(例えばグラブルでは9万円の天井までガチャを引いても道中で有用なキャラが何も出ないというのは普通に起こる)。限定キャラクターの中でも格差が増してくると微妙な性能の限定キャラが新たに追加されてもそれを引こうと思う人はもはやいなくなる。それに呼応して運営は新限定キャラを露骨に接待するような行動もとる。白猫プロジェクトにおけるパルメショックはまさにその典型で、接待されているキャラ以外の攻撃はダメージが1/10になるというめちゃくちゃな耐性(ここに関しては記憶があいまいなので不正確かも)を付与した結果、ユーザーからの顰蹙を買ってしまった。
このPhaseに入るともはや環境についていくためには人権キャラを得るために多額の課金(9万~)が必要となってしまう。
大抵ソシャゲは上記の1-3-1から1-3-4のような経緯をたどってキャラ単価を上げて集金しようとして最終的にはついていけなくなったユーザーは離れていくことになる。限定キャラや人権キャラが引けなかった場合、その時点で実装されるクエストをやるときに大変不快な気持ちになる。自分は運要素や過剰な重課金に頼ってまでそのゲームをやろうと思えなかった。
2.では、具体的にどうすればよかったのか?
2-1. メインのゲームとイベントのバランスを考える
やはりRPG系のゲームで最も大事になってくるのはメインストーリーや恒常コンテンツを徐々に攻略していく達成感であるから、メインの攻略に据えるのはやはりメインストーリーであると思う。もしサブストーリーを実装するのならば「無理にプレイする必要性がない」「プレイすることで普段手に入れづらい素材が手に入りやすい」「イベントプレイで所持済みキャラの見た目を変えることができるようになる」程度に抑えるべきだと思う。
2-2. ストーリーはやっぱり完結してほしい
ストーリーを完結させることとソシャゲを存続させることは本来的に矛盾するため、ソシャゲにおいてストーリーを一つの作品として完成させることは非常に難しい。しかしストーリーを第n部のように完結するストーリーをいくつか出す形式にすれば両立可能なのではないか?
2-3. コンシューマーゲームの何十倍も課金したくない
現状のソーシャルゲームはいくらなんでも1キャラあたりの単価が跳ね上がりすぎである上、いわゆる人権キャラを引けなかった人には多大なる苦痛を強いることになる。キャラを持っているというスタート地点に立つために十万以上課金するのは普通にくだらないし、弱いキャラや武器を強化していって最終的に強いキャラに育てていく楽しみや完成したときの達成感はもはや無い。
(自分としては理想的な課金システムは、先日ポケモンGOであったレジギガスイベントのような新要素を試せるイベントをチケット制にしてそのチケットを購入してもらうという課金システムだと思っている)
「無料10連をポンポン出せることは、数十連程度の課金では全く強くなれないことを意味する」
3.お気持ち表明
ソシャゲは同じゲームを共有して友人と時にはそのゲームを通じて出会った人とともに楽しめるという点では非常に面白いゲームではあるが、これまで述べた点においてゲームとして致命的に問題のある部分が多く、他のソシャゲーマーに対して「え?このゲームにそんなに何十万も課金するの?」と思ったり他のソシャゲーマーと感覚がずれる部分も多かった。
ソーシャルゲームのキャラをキャラの見た目で追い続けてその同人作品などを見るのは好きなので、コンシューマーゲームと同じようなゲーム性は要求することはもうやめて、自分のやりたいスタイルでソシャゲをプレイして無理に最前線を追うことは今後なくそうかなと思う。たぶんこのようなスタイルで続けると多分最終的にソシャゲはやらなくなりそうだな~と思ってます。
終わり