高齢者になると体のパーツが壊れてくる。寿命からして自然の流れである。これまでの人生で何度か転機というものがあったが、いよいよ修正できそうもないパーツの不具合がではじめた。これからいろいろな不具合とともに老いていことになる。

いづれ人間のパーツもIPS細胞でアッセンブリ交換という不思議な時代がくるのかも知れないが、峠を越えた私としてはどうやって灰になるのかをゆっくりと考えながら、無理をしない生き方を迎える年齢になった。

どのパーツに不具合が生じたのかというと目である。老眼の話ではない。失明をともなう「緑内障」「加齢黄斑変性」「網膜剥離」という認知度のある病名でもない。「中心性慢性漿液性脈絡膜網膜症(CSC)」という聞いたこともない病名だ。急性で来院した患者は自然治癒する傾向にあるが慢性となると患者しだいという。病状は網膜の中心部にある黄斑の後ろに水が溜まっている。しかも水の出どころが特定できないという厄介な状態になっている。黄斑は文字を認識するためには必修のパーツで、その水が溜まる部分の細胞が壊死している。したがってどんなに矯正しても視力が出ない。矯正して右目は0.1が見えない。左目はギリ0.7である。

具体的な治療は2023年9月から始まった。近隣の総合病院には治療の器具がない「60代で失明というのは・・・ちょっと大変ですね」と最悪の診断通知。「治療方法がない訳ではないのですがどうします?」「やってみます。お願いします」「では紹介状を書きます。この辺りでは千葉大病院と東邦大佐倉病院があるのでどちらにしますか?」ドクターの問合せに、何となく「先生の出身校は?」と尋ねたら「僕は東邦です」というので「では、東邦でお願いします。」というわけで、公共交通機関だけで片道約2時間の通院生活が始まった。

昨日は2か月事の経過観察の通院日であった。駅には公立高校入試二日目ということで受験生が集まっきていた。そんな訳でいつもよりは電車は混雑していた。

少し長くなったので続きは明日に。

東庄県民の森の東側に位置する「八丁堰(夏目の堰)」では北帰行のために数多のマガモたちがスタンバイしている。いまは南から飛来する水鳥の休憩地というところだ。そのマガモの中でオスだけの集団がいた。ペアとなるメスを探している若鶏の一群だ。繁殖地に到着する前に相手を見つける。この地に飛来してくる別の群れのメスを待っている。一般に鳥のつがいは一生涯といわれている。カモの大きさで5~6年、カラスで8年ほどの寿命といわれている。

繁殖地まで無事にたどり着くためには群れの大きさが必修となる。九十九里浜を休憩地としたハシビロカモの北帰行も先週の土曜日にはしんがりとなる群れが飛来していた。30羽ほどの群が3カ所に見られた。そのうちの一群には10数羽のカラスがスタンバイをしていた。力尽き飛べなくなったカモが息絶えるのを待っているのだ。しんがりを務める小さな群れのその後は猛禽類が待っている。自然の摂理だ。

「4月になれば彼女はやってくる」サイモンとガーファンクルのヒットソングだ。英語歌詞の内容は極めて難解で、播種から収穫までの農作物かそれともツバメのような夏鳥のことなのか、多分前者ではあろうと勝手に解釈しながら、ギターを弾けなければ男じゃないと言われた高校時代「放課後の教室午後3時」のミニライブに参加していた。

千葉県の北東部では米栽培のスタートを4月ではなく春分の日前後を目安としている。そんな訳で種まきの準備に物置からふるーい50年物の超アナログ機械を引っ張り出した。昨年は不具合が頻発し土壌の被服にばらつきが発生したので、今年は何とか改良をと思ったのだが交換できるパーツなどありはしない。もしかしたらワンオフの品物かもしれない。そんな時代だった。一か月以内で解決できるのか思案六法である。ダメなら新しい機械とはいかない。少なくともこの先20年いや10年は稲作を継続することができるのかという問題だ。農家の高齢化そして離農は食糧生産の終焉でもある。私にとって問題は違う、新しい機械を導入してコスパ的にどうかということだ。そもそも稲作は昨年を例外として「骨折り損のくたびれもうけ」だ。春は米作りという十字架を背負う季節でもある。最も冬であっても畔の除草や田興しの農作業はある。そろそろ寿命を迎える農業機械も人間も死ぬまで働き続ける。